迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

薫兄から聞いた話…。

昨日の話では書けなかった部分です。薫兄が有馬記念に関する思い出を、解説の際に話してたんだが、薫兄にとって忘れられないレースはと訪ねられたら、真っ先に1990年のレース…そう、オグリキャップの“有終の美”を飾った有馬記念と答えると言ってました。このレースはオイラもよく覚えてるレースで、前走、前々走と着外に敗れ、もはや“オグリは終わった…”とまで言われた状況で向かえたラストランでした。
確かに年齢的に5歳(当時は数え年で計算するから、実際は“6歳”となるんだが…)にもなると、(条件にもよるが、ハードスケジュールで長年使い込んでたら)競走能力だって落ちるし、何よりも鞍上がレースの度に変更し続ければ、馬だって混乱しますってばw
ま、そんな状況で薫兄が栗東トレセンへ取材に行った時、オグリンを見た時に“ひょっとして…”という感があったそうです。それが確信に変わったのは、当日の中山競馬場で担当厩務員と(取材で)話してた時だったそうで、その直感がレース実況での態度にも出たのはいうまでもありません。今でもオイラは、この当時の有馬記念を思い出す時、一般的に知られている白川アナの実況ではなく、薫兄の『オグリ先頭、オグリ先頭、オグリ、オグリ、オグリ…外側からメジロライアン来た、オグリキャップ甦った!!』と吠えた実況を思い出します。

また、もう一つの思い出として、くーちゃん…もとい、平松大阪市長の話も出てましたね。"あの事件"さえなければ、ひょっとしたら別の道…そう、競馬実況アナとして道を究めていたのかもしれないとも言ってましたね。“あの事件”の時、スタッフとの協議で“ペナルティー”として1ヶ月間の“実況禁止”処分で良いだろうという事にしてたのですが、当の本人がそれを期に双眼鏡を置いたのはくーちゃんの項目で解説した通りだが、もしもあの時に双眼鏡を置かずに今も続けていたなら…多分薫兄の方が先に双眼鏡を置いていたのかもしれません。てのも、実は1999年のグラスワンダースペシャルウィークの“ハナ差でw”の時、薫兄ですらスペシャルウィークが先着したと“誤認”してたらしく、さらにユタカの“勘違いウイニングラン”でトドメが刺さった為、薫兄もそのまま喋っちゃったそうです。コレも実は薫兄にとって“ホロ苦い”思い出なんだそうな。
そう言いながら、調教を見つめてる薫兄を見てると、やっぱりちょっとだけ、競馬実況に対する“未練”がある様なオーラが背中から漂ってました。多分、そう簡単に競馬の仕事を辞める事は、薫兄の場合はできないと思います。それだけ、長い付き合いだったんですね。
ただ、流石にスタッフからゲスト騎手の予定を聞かされて、「頼むから外国人騎手はやめてΣ(゚д゚lll)」なんて言う薫兄は、かなりお茶目でしたw で、オイラがすかさず「ペリエ騎手だったら(日本語解るから)大丈夫じゃないの?」とツッコんでやると、「ペ、ペリエだったらって…」とドギマギしとりやしたw(で、実際ペリエ騎手達がオイラ達がいたスタンドに接近してるのを確認して、オイラが「ビンゴw」って言ったら、完全に薫兄はガビ〜ンって顔してましたw)