迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

それぞれの言い分、それぞれの言い訳…

残業で遅くなったんで、今日は手短に。開催に向けて、かなり不穏な動きが見え隠れしている北京オリンピック。特にチベット暴動関連において、欧米メディアと中国政府の公式発表と、何かが食い違ってる様に見えて仕方がない。もちろん、情報を規制している中国政府にも問題があるのは明白だが、それを“利用”した捏ち上げがある様に見えて、オイラは仕方がないのだ。チベットに関して、ツッコんだ話をし始めると収拾がつかなくなるんで今日は避けるが、欧米メディアが言ってる事が真実ならば、チベット自治区は既に封鎖されていないとおかしいし、中国政府の言い分が正しいのなら、指導者のダライ・ラマ14世胡錦濤国家主席は同じテーブルで会話をするべきであって、第三者は勝手に介入するべきではない。

つまり、事の発端がどういう事なのかは当事者しかわからない訳であって、過ぎた事をどうこう言ったトコで、何の解決にもならない。むしろ、今後に向けてどうあるべきかをトップどうしが話し合う場を設けてやる事がスジであって、諸外国のオリンピック参加ボイコットは畑違いな話である。むしろ、こういう事を予期して、早い段階でヘルシンキや大阪に変更した方が良かったのは、現段階だからこそ言えた話であって、決定した当時(確か今から12年前だった様な気がするが…)、中国を推奨したIOC加盟国は、その責任として今大会に参加するのは“義務”だとオイラは思ってる。当然だが、現時点で“反対”を表明している連中もである。
オイラが一番言いたいのは、現在の大人が未来を担う子供達に“なに”を残せてやれるかであって、その中には資源や文化、産業技術も含まれるが、その先の“絶望”だけは絶対に自分たちの世代で食い止めなければいけない。なぜなら、これからを生きる子供達には、何の罪もないからだ。その“大罪”を大人が擦り付けるのは、みっともない話ではないか。だからこそ、トップ会談を開き、わかり合えるまでそこで“喧嘩”をするべきである。なぜなら、お互いが“人間”である事を、完全に忘れ去っているから、配下の民の“痛み”すらわからなくなってしまってるからだ。思想や民族が違えども、お互いが人間である事に気付き、双方の“言い分”を聞き入れてこそ、初めて“対話”となる。