迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer“NEXT” vol.16

さて、昨日が草野アナだった訳ですから、今日のネタは、それに似合う“対戦相手”ってのを用意しないといけませんねぇ…で、悩んだあげく、日テレの“14時台の番組”繋がりってことで、元・ABCの宮根誠司アナの話でもしますかw “韓流ブーム”と言われて久しいが、熱狂的な韓流ヲタが転じて、現在では韓国の観光親善大使に任命される程の韓国通。局アナ時代からやってる“おは朝”でも、時たま旅行会社泣かせの韓国ツアーを企画して紹介する程の熱の入れようは、関西人なら知らぬものは居ない程w でも本来なら、ABCの将来を担う有望なアナだったのですが…天性の“お調子乗り”を、オイラのわかる範囲で紹介していきましょうw

関西のアナウンサーってのは、大凡の場合関西弁を使う事が多いんだが、宮根アナの場合、若干発音がおかしい。というのも、実は彼、島根出身なんですよねぇ。ABCのアナの中には、岡山以西出身のアナが居まして、道上アナ(山口)や、現在タレントとして活躍している山本モナアナ(広島)も該当する訳です。そんな中に、“アベロク”こと安部憲幸アナと同郷というのが彼なんです。(アベロクも島根県人w)ま、喋りに関してはニュースとかには向いてないものの、基本的にMCとしての才能が優れていて、この事から新人時代より主にラジオでのパーソナリティーとして活躍していた訳である。で、一般的に知名度がアップしたのは、若くして“おは朝”のMCに抜擢された事であろう。といっても、最初の頃は“おは土”のMCで、平日は岡元昇アナが担当していた訳である。
この頃の“おは朝”ってのは、現在のCスタジオに番組制作スタジオが変更になって、しかも全体的なスタッフの刷新を急いでいた頃で、その前ってのが三代澤康司アナと高塚哲広アナが担当していた頃である。しかし、関西ローカルでありながら全国ネットの情報番組よりも数字がいいモンだから、それを維持する為にあれこれと試行錯誤をやりまくった訳である。そんな中でMCの刷新が急浮上した訳である。で、コレが見事にコケる訳で、岡元アナが降板後、現在のポジションに宮根アナが入った訳である。これが吉と出て、以来現在まで彼がこの時間の主となったのである。ちなみに、宮根アナの“おは朝”在籍年数は、他のMCに大差をつけてトップであり、放送開始から25年以上経過したこの番組の歴史の中で、最も長い間その座を守り抜いてる。でも、多くのリスナーは、宮根アナはむしろ“ラジオの人”と主張して譲らなかった為、ABCでは苦肉の案として、毎週水曜日の昼間にラジオ番組をやらせていた程である。この“二足わらじ”が後に“ミヤネ屋”を始めるきっかけともなる訳である。
ところが、“おは朝”のコーナーの中には、取材と称してあらゆる地方ロケをやる事が多く、忙しい時間を縫ってロケなんてのもザラだった。そのため、家にいる時間が少なく、それが原因で離婚したとかしないとかw ま、その寂しさを紛らわすかの様に、休日前とかに韓流ドラマを見入ってるうちに、韓国にハマったわけである。(ま、本音を言うと、海外ロケといっても、平日の早朝番組をやってる以上、時間が限られる事もあって、制作予算も考えると必然的に韓国でのロケが無難と判断された訳なんだが…。)
でもある日、ふと考えたのがABCの台所事情と、将来の事を見据えた仕事のあり方である。社員のままなら、いつかはデスク業務に振られてメディアにでる機会がなくなるし、だからといって勢いでフリーとなると、まず関西では食い扶持がない。だけどいろんな事にチャレンジしてみたい、できればテレビ中心での活動を展開したい思惑があった。また、折角掴んだチャンスを逃したくなかったから、やしきたかじんの薦めもあって意を決し、フリーに転向する事になった。で、同時にKTVから梅田淳アナがフリーになったのを受け、最初のうちは某豆乳メーカーのCMに共演したり、MBSの昼間の番組に登場したりと、できるだけABC以外の放送局での仕事を増やしていったのである。そして、転機は意外なカタチで訪れたのである。
今から2年前、NTVは午後のワイドショーのテコ入れ策として、制作スタッフをYTV東京支社スタッフに切り換えた。しかし上手くいかない。そんなジリ貧を覆す手段として、金曜日の夕方限定で“ミヤネ屋”を始める訳である。コレが意外とヒットして、今までサスペンスドラマの再放送枠だったその時間を、すべて“ミヤネ屋”に変更した訳である。こうなると、“おは朝”以外で抱えていたレギュラーの一部を断って、現在のスタイルに移行した訳である。当初は関西オンリーで放送する様になってたのが、“THEワイド”が放送終了になると同時に、NTV以外の系列局が(若干の時間調整が入るものの)挙って“ミヤネ屋”のネット化を要請したのである。そして今年、“Be アップル”以来のYTV発全国ネットの情報番組が、復活したのである。
当の本人は“西のみのもんた”と豪語するが、オイラから言わせれば、今の姿は奥田アナの“後継者”と言った方が正しいと思う。ラジオの喋り魔はいつしか、NTV系列の“救世主”にならんとしている。どちらにしても、次の秋改編、この番組が生き残っていたなら、まさしくそう考えても良いだろう。