迷馬の隠れ家 はてな本館

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政治家が宗教を嫌う理由…

いつの時代でも、政治家は“モノを言う団体”の宗教を思いっきり嫌う。その理由は、“宗教”という名の束縛感…集団心理に埋没しかねない“自分の意見”…ってのがある。ま、どんな宗教でも、大なり小なりの“お約束”ってのがあるんだが、根本的には参加は自由だ。が、どうしても為政者クラスともなると、集団の“お手本”となる活動を要求される為、時として“ウザい”と感じる事もある。が、政治家の場合、官僚と違って就職活動で勝ち得た職ではなく、選挙によって“選ばれた”という事実がつきまとう。コレを勘違いするバカが、大概有権者をコケにして、とんでもない“失言”をやらかす訳だ。コレを是正する為に注意してやってても、それを聞かないから厄介であり、それ故に傲慢になり過ぎて自滅するのである。

確かに、一部の宗教団体が国を牛耳ってしまった影響で、国が傾いたという歴史は何度もあるが、その原因は上層部と底辺に温度差ができて、集団としての統率が取れなくなったのが殆ど。むしろ、筋の通った哲学をもって、今までの行政のあり方を糾した宗教家はいるが、その後は、その指導者の影響力に胡座をかいた“弟子”を騙るバカに乗っ取られ、あらぬ方向に傾いて、消滅する事が多い。一番わかりやすいのが、レーニンスターリンの関係だ。レーニンはあくまで、共産主義は貧困をなくす為の理念とし、政治家や軍部などは国民生活の“影”を支える存在と位置づけた。が、スターリンはそれを逆手に取ってレーニンを神格化し、絶対的な権力を手に入れて首脳陣の堕落を生んだ。その結果、ソビエト流儀の共産主義ゴルバチョフ政権下で終焉を迎え、それに習うかの様にして東欧の共産主義国家は次々と崩壊したのは、ご存知の通り。
だが、間違ってはいけないのは、“だから宗教は…”という考え方こそ、実は一番危ない思想であり、無宗教であっても、決して宗教の存在そのものを否定してはいけないのだ。なぜなら、宗教とは、様々な哲学と“確固たる絆”という名の拠り所を指すモノであって、決してそれ自身が悪いのではない。むしろ、そこに所属してる事を侮辱し、見下した上に、自分自身が人間である事を忘れて、まるで神仏の様に振る舞うから、その宗教すら廃れてしまうのだ。
つまり、人間としての礼節を学び、独善的にならない様軌道修正する場として心身ともに修行するのが宗教の本筋であり、それに伴う行動として、哲学に則った信念を持って政に参加するのもひとつである。それを拒むという事は、土壇場で神仏に助けを乞うても、叶うハズがない。そう、宗教は“弱者のモノ”じゃなくて、強者を悪路に堕ちぬ様導く“精神の羅針盤”でなくてはならないのだ。言い方を変えれば、地図があってもヘボいナビゲーターじゃ道に迷うし、だからといって土地勘もないのに地図無しで目的地に向かうのは無謀な話。だから、事前に地図の読み方を学び、実際に使って馴らす事が必要なのと同じである。
要するに、迷子になってるのに強がっているだけじゃ、結局何の解決にもならないし、さらに自分がしんどいだけ。どこかで素直に助けを求める事も必要だし、それに応じてやるだけの知識も必要。それを補い合って、初めて“人間”は成り立つ。ただそれだけの事なんですがね…。