迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

庶民感覚ってなんだろう?

どうもマスコミは、“日本滅亡”を期待してる様で…wま、そんな事はどうでもいいが、ちょっと気になる話。麻生総理大臣がホテルのバーで毎晩酒を飲んでる事を、野党がやっかみ込めて叫んでる様だが、どうも勘違い甚だしい話にしか思えない。なぜなら、もしも麻生総理が小倉の屋台にでも繰り出そうならば、それこそ福岡県警や警視庁が総動員で小倉(総理の地元w)の街を警戒せんにゃいかんし、それの為にムダな税金を使っちまう事になる。まして、北九州市中の飲食店街にとって、用もないのに総理や閣僚どもが突然やって来て何かをやらかそうならば、それこそ“営業妨害”であるw つまり、それくらいの地位の人間が、一般庶民と同じトコで食事をするという事は、その分の“人件費”も掛かっちまう訳であり、野党のゴロツキと一緒にしてはいけないw むしろ、野党だからこそ自由に街中を徘徊して庶民の声を聞き、それを議会の場で反映してこそ意味があるのに…何考えてるんでしょうかねw

では、何をもって“庶民”と言えるのか…例えばアメリカの場合、良くも悪くも“スポンサー第一主義”であり、思い切った銃規制をやりたくても、為政者自身のスポンサーが全米ライフル協会である限り、できないのが現実である。つまり、政治家はみんなボランティアで議会運営をやってるから、企業からの献金…つまり賄賂も含めた活動資金がすべてであって、コレ故に“企業に甘く貧乏人には冷たい”といわざる得ない。事実、日本の様な公的健康保険制度等存在しないが為に、万が一、生命保険会社が倒産すれば、そこから健康保険を掛けてるユーザーは、その時点で病気や怪我をした途端に、医療費がすべて実費で賄わなければいけない。つまり、税金が安い代わりに、こういった国民の生命維持に関しては国としての意識が希薄である訳である。
逆に、“福祉大国”であるフィンランドの場合はどうだろうか?こっちも医療制度や教育に関する制度はしっかりしてるモノの、それに対する国民の負担は激烈で、特に若い世代程、そして未婚である程税負担が大きいという。つまり、医療費や教育費が無料である代わりに、国民はそれらを有無もいわさず平等に負担しなきゃいけないのである。
こう考えると、日本の様々な公的制度は、税収の割に合わない位の支出があって、コレを賄おうとすれば、経費削減だけでは追いつかない。そう、既に医療保険制度そのものが破綻しててもおかしくないのである。そして、国会議員に関しても、議員になる以前の職種や収入を問われない為に、その殆どが貧乏人だった事を受けて、議員年金や給与が国から支給されているのが普通であり、富豪のボンボンがそれを貰う事自体、本来なら異議を唱えなきゃいけない訳である。(ま、一部の政党では、それを理由に給与や選挙資金の支給を断ってるらしいが…w)
つまり、マスコミの大きな“誤報”は、“庶民感覚”と言えど、何をもってそう言うべきかを知らなさ過ぎるという事である。ま、報道機関も“商売”ですから、収入がなければやってけない訳で、競馬や競艇等の予想専門紙がベラボーに高いのは、その紙面を見たらわかるが、自社出版物以外の広告を掲載していない(紙面上できない)から高いのであり、一般スポーツ紙と同じ様に考えてはいけない。言い方を変えれば、新聞が朝刊でも一部120〜130円(ちなみに聖教新聞は、一部80円w)で読めるのは、その分だけ広告を掲載してるからであり、それがなければ実際の価格のおよそ5〜10倍の価格でないと商売にならない。雑誌もそうで、広告収入が落ちれば、その分だけ価格に反映されてしまう訳であり、安い雑誌程欲しい情報が少なく、まさに“広告の塊w”である。
逆転の発想でいえば、“庶民”というのは何も、貧富の差でや学歴の差ではない。如何にして人間らしい生活を“経験してる”かどうかであって、本当に庶民の気持ちを知りたいなら、自らの手で商店街で買い物をして、そこで手に入れた食材で自ら調理し、作った料理を囲んで家族との会話を楽しみ…如何にして第三者の手を煩わせずに過ごせるかを、経験してこそナンボである。そういった経験もないボンクラ幹部ばっかの野党が、粋がって“政権交代”を叫んでる事こそ、庶民をバカにしてるのであって、人間臭さがあっても、やるべき事をやっているなら少なからずとも“庶民感覚がある”と認めるべきではなかろうか。そういう意味では、ゴスロリ系のマンガを読みふけり、時にはアニメのコスプレ(?!)でアキバを闊歩(!!)してても、カワイイと思えば…w