迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

お疲れさまでした…

ご存知の通り、昨日ジャーナリストの筑紫哲也氏が肺癌で亡くなられた。某掲示板では批判の多い方ではあったが、これほどまでに日本の将来を憂い、これからを担う若者を、マスメディアをフルに使って叱ってくれたジャーナリストはいない。そして、誰よりも芸術文化を愛し、その方面の知り合いが多かったのは、いうまでもない。だからこそ、“第一次モナ事件”では激昂し、オウム関連に関するTBSの取材姿勢に対して、(世話になっているにも拘らず)バッサリと斬った発言もあった訳だ。
言い方を変えれば、それだけ、マスコミの重責をよく理解できていたからこそ、そして、そこに身を置く一人の“報道人”としての誇りを大事にしていたからこそ、同じメディアに対してシャープな批判もやってた訳であり、それ故に批判も多かった。

20年前に始まった“ニュース23”は、ぶっちゃけた話、筑紫さんの“手作りニュース番組”っぽい面がウケたのであって、筑紫さんのいないアレは、既に別の番組である。そして、あの時代にやってた報道番組で、一番“時間が読める番組”だった様な気がする。それもそのハズ、当の本人が一秒たりとも遅刻したことがなかったというエピソードを考えれば、それは至極当然であり、だからこそエエ加減な取材体勢を取る様なマネは、絶対に許さなかった。それをハーちゃんやモナに叩き込みたかったからこそ、モナの“裏切り”が許せなかった訳であり、それ故に心残りだったのかもしれない。
また、かなりのカープファンであることも有名で、それ故に今年のペナントレースはリーグ優勝は無理でも、CS進出を果たして欲しかったに違いない。だからこそ、8月頃に危篤状態だったのが一時的に保ち直したのだろう。そんなトコも意外と“野球好き”だったことを伺わせる一面だと思う。
そもそもが朝日新聞社の記者だったから、左寄りの考えでモノを述べるクセがあった訳だが、基本的に的外れなことを話してはいない。むしろ、世間が右寄りになりつつあったからこそ、少数派の反対意見の“代弁者”としてチクリと一言喋った程度…そう思えば、世の中を冷静に観察し、自分自身のジャーナリズムを決して曲げずに、やんわりと嗜めていた姿は、まさに“親父”といったトコだろう。だからこそ、口やかましいオッサンではあったけど、そこには未来の担い手を思う“優しさ”もあった。
オイラ的な見方だが、振り返ると、若干努兄とキャラが被る部分があった。特に服装に関しては、キャスターとしてのスーツ姿よりも、デニムシャツにジーンズで颯爽としている姿の方が、何となく似合っていた。(記憶違いかもしれないが、努兄もスーツでドタバタしてるよりも、ジーンズでバイクに跨がってるイメージが似合ってた様な気がする。)意外(といってはなんだがw)と年齢不詳な考え方も、よく似ている。だからこそ、ダブって見えた。
昨日からの雨は、そんな“一徹なジャーナリスト”の惜別の涙なのかもしれないと思うと、寒さすら忘れる。今頃、1年半も我慢してたマールボロをガンガン吸ってる様な気がする…改めて、ご冥福を祈るとともに、彼の遺志を受け継いで、未来を信じたいと思う。