迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

無駄を作る野党の策略、与党の策略w

近く行われる衆院選を睨んだ攻防戦は、一応野党側候補の“勝利”という感じで報じられがちだが、忘れてはいけない点がひとつある。そう、投票率である。近年、国政・地方問わず、選挙の投票率有権者全体の過半数以上が“棄権”という事態を招いている。もちろん、様々な事情があって投票に行けないっていう有権者もいる訳だが、その大半は20〜30代のいわゆる若年層の“棄権”がである。つまり、“誰がなったとしても、自分に関係ない”とか、“どうせ自分の意見は、年齢を理由に無視される”といった絶望感からきてる部分が殆どだ。(ま、中には某掲示板で翻弄された挙げ句、“選挙行かない方が正義w”みたいな論調を掲げてるのもいるがw)
言い方を変えれば、本来この国を支えているハズの屋台骨である若年層の有権者が、既成政党とマスコミの“政治ごっこ”に付き合いきれずに無視してるというのが現状であり、コレが結果として投票率の低下と、事実上の“不信任”を勘違いする政治家の暴走を、指をくわえて傍観するという状況を生んでしまってるのである。そのため、なんとか経費削減のために審議時間を短縮しようと努力しても、却って質疑応答の部分で時間が掛かり、必要以上の経費が嵩むというパラドックスに嵌る訳である。で、そのしわ寄せは、結果として若年層の士気を低下させ、経済そのものの冷え込みに拍車をかけているのである。

そう、実は殆どの政治家は、自分達がやっている国会審議そのものが“時間のムダ”である事を知りながら、敢えて国民に、“与党が悪い”だ“野党のせいだ”と罵り合ってるのである。なぜなら、政治家…特に衆議院の場合、任期は一応4年だが、解散・総選挙の加減でそれが保障されている訳じゃないし、まして選挙で負ければ、その時点で“派遣切り”同様の惨めな生活が待っている。(とはいえ、大概のヤツは元々弁護士だったり、総合病院の院長だったりと、待遇自身は雲泥の差だが…)そのため、たとえ市町村会議員でも、そのポジションを他者に奪われたくないから、時として他の候補の“妨害”とも取れる様な選挙活動に走る“おバカ”も出現する訳であり、有権者自身もそれを見抜く眼力と情報解析能力に乏しいから、ついついマスコミの情報だけを頼りに安易な考えに流された挙げ句、自ら国政の混乱を招いてる自覚が無いまま、政府や議会を批判してしまう訳である。
特に多い論調が、“創価学会さえいなければ…”という安易な学会批判である。冷静に考えればわかるんだが、この論議そのものが既に“古い思考”なのであって、そもそも、学会を批判してるモンのメンツなんぞ、某掲示板で木和田アナを“ブナンヤロー”と批判してるバカと同類である。言い方を変えれば、“学会員以外の議員の意見なら、誰でも良いのか”って話であり、ちょっと自分の意に添わないのを理由に存在そのものまでも全否定するのは、バカを通り超えて御目出度い性格であるw
つまり、今の通常国会で繰り広げられているのは、予算や給付金の事ではない。単純に政治家自身の“死活問題”としての言い争いであって、“国民よりも自分自身”という、みっともない姿なのである。それは何も、麻生総理の事でも、小沢代表の事でもない。政治家全体の“慢心”からくる政治不信に気付かない事を、国民が呆れているからそうなるのである。
生活給付金に関しては、明日以降にもちょっと説明させてもらうが、誰がどんな使い方をしたって、それは自由だ。が、間違っても“それに捻出するカネがあるなら、他のトコに使え”とか、“どうせ消費税が上がって、生活が苦しくなるだけ…”等とトンチンカンな事を文句を垂れながら、受け取って欲しくない。なぜなら、折角国が国民に対して、無条件で“還付”する税金であるのに、それに反対する事自体、自分の首を絞めているのと同じだからだ。そして、その理由を公明党…否、創価学会に“支配されている”感覚が嫌だからというなら、生活保護社会保険の恩恵も“返還”すべきだろう。なぜなら、こういった公的保障は、学会が言い出す前から存在したモンであって、それを使いこなせる様に法整備したのは、いうまでもなく自民党と旧社会党の“国民を思う政治”によってもたらされたモンである。そこを忘れて論じるのであれば、もう一度小学校から社会科と道徳を学び直される事をお勧めしたいw