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まじプラ増刊号 脳死と臓器移植を考える 最終回

こんにちは、マーティです。いよいよこの特集も、最終回ですね。今回は、“それでもあなたはどうしますか?”というテーマで、この特集の纏めをさせていただきます。
4回にわたって、脳死と臓器移植の話をしてきましたが、このテーマを取り上げる時に、根本的な問題がありました。それは、“もしも自分がその立場になった時、その選択肢は誰が持っているのか?”という事です。つまり、臓器移植を待つ患者自身なのか、ドナーになることを承知の上で脳死判定を行ってもらう家族なのか、あるいは各専門医師の我侭なのか…立場が変われば、その答えも違ってきますし、意味も変わってきます。いくら、“臓器提供意思表示カード”(脳死と判断された時、医療機関で臓器提供者として扱ってもかまわないという意思を事前に伝えるためのカード。脳死判定後摘出、心停止後摘出、臓器は提供しないの選択ができる)がない(あるいは、カードに“臓器は提供しない”の項目にチェックが入ってる)ばかりに、家族が提供を申し出ても、臓器摘出ができないという事もあるのです。しかし、それは“本人の意思”として尊重されるべき事であり、家族だけでの判断、あるいは意思の都合だけでの判断では、取り扱ってはいけない事なのです。

以前にも説明しましたが、“脳死状態”について、今一度おさらいしましょう。元々“脳死”という“症状”は、脳疾患(脳挫傷くも膜下出血等)で倒れた患者の治療方法がなかった時代には起こりえなかった状態であり、現代の医学の進歩から、生命維持装置(人工呼吸器や減圧カプセル等)によって“肉体だけが生きてる”状態なのです。つまり、今でこそ脳神経外科での手術方法や、投薬等の治療方法が進歩したために、かろうじて“生きてる”と様な状態にしてるだけの話であって、本来なら“既に死んでいる”状態なのです。特に、交通事故やレジャー中のトラブル等で、陥没が伴う頭蓋骨骨折を負った場合、脳へのダメージが酷く、どんなに処置を施しても、意識が回復せぬままに死亡する事があるのです。幸い一命を取り留めたとしても、重い後遺症が残る事が多く、最悪は…という訳です。
確かに、生命維持装置がある以上、それでなんとか回復してくれれば、誰も気にしなくし済むかもしれません。しかし、現代の医療を持ってしても、脳死から“生還”するケースは稀であり、通常、どんなに生命維持装置を使っても、大人の場合、長くても半月程度しか保ちません。(子供の場合は、成長ホルモン分泌の加減もあって、1年以上生きていられる様ですが…)また、脳死者の延命処置のための医療費は、たった1週間の加療だけで、平均的な家庭の1ヶ月分以上の収入が必要だとされています。つまり、経済的に裕福な家庭ならいざ知らず、普通の家庭では“大切な家族”とはいえ、延命処置は家計を逼迫します。そのため、泣く泣く“強制終了”させざる得ないのです。
海外での話題の中で、スウェーデンでは中絶胎児も移植に使われるという話をしましたが、現在の白血病患者への治療方法として、“臍帯血(さいたいけつ:ようするに、出産時にへその緒に残った血液。骨髄液同様に、造血細胞が豊富。)移植”というのがありますよね。この発想も同じ原理で、骨髄移植の場合、ドナー自身にも、骨髄液を取り出す際に、脊髄を傷付ける危険が伴います。それを緩和するために、出産後“廃棄物”になってしまう臍帯血を移植する方法なのです。つまり、中絶胎児の細胞組織は、そのままだと単なる肉塊ですが、“胎児”である以上その細胞は成長する余地があります。だから、その組織を移植用に使えば、その“生命”がムダになる事はありません。しかし、望まない妊娠(強姦被害に遭った等)だったからと言って何度も中絶を繰り返すと、肝心な時(好きな人と夫婦になって、子づくりに励んでる時)に流産を起こすリスクもあるのです。
また、臓器移植を必要とする患者の中には、脳死者から提供された臓器を受け取った事を告げられると、覚悟があったとはいえ、相当な罪悪感に見舞われます。当然だと思います、自分が“生きる”為に、見ず知らずの人間の“生命を奪った”事に変わりはありませんから。もちろん、自分自身の“治療のため”という大義名分があるのはわかっていますが、それでも他人を殺した…罪に問われないとはいえ、この“拭いきれない罪の重さ”を背負って、これからを生きていかなければいけないのも事実なのです。そんな患者のモヤモヤした思いを、少しでも緩和するためには、ドナーとなる覚悟と、決して自分自身の生き様に後悔しないという信念を、家族にも、そして患者本人にも伝わる様にしてあげるべきでしょう。そのためにも、脳死や臓器移植のリスク等を、“自分には関係ないから”といって避けるより、“将来、自分も通る道”と思って、もっと積極的に学んで欲しいのです。当然ですが医師も、臓器移植以外で救う方法を早く確立させ、少しでも“双方が悲しむ結果”を減らす努力をして欲しいですね。

さて、今回のテーマ“脳死と臓器移植を考える”は、一応ここで“終了”とさせていただきます。長い時間お付き合いくださってありがとうございました。ここでちょっと、お知らせがあります。来月“まじプラ”は、更新を休止させていただきます。というもの、マスターから「折角の“夏休み”だから、タマには、家族のトコに帰れw」と言われたからです。また、シンやヒデボーも“里帰り”をするため、彼等が担当するコーナーも、8月は休止します。という訳で、ボクのコーナーの次の更新は、9月の第2木曜日になります。それでは、これから暑さも増してきます、夏バテしない様、夏を楽しんでください。では。担当は、マーティでした。