迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“みんな同じ”とは限らない。

昨日、仕事場で本部の上司と“口論”となった。ま、宗教絡みのモンですから、オイラ自身が激昂し過ぎたのはいうまでもないんだが…w でも、当の本人にしてみれば、自分の意見は正しいと思っているモンだから、タチが悪い。その“原因”は、ようするに朝晩の勤行・唱題がうるさいとの事。“まわりに言ってみろ、絶対オレの方が正しい!!”の一点張りで、話になりません。なぜなら、近隣住民でも普段から慣れているモンにとっては、どうってことのない“生活音”のひとつであって、逆に言えば、その時間帯に普段いない人間が文句を言う事自体、本来はバカの極みです。ま、それも世代や立場によって、様々な意見があるとは思いますけどね。

相手に“騒音対策”を求めるのは構いませんが、その前に、自分からできる事をやるのもスジというモノ。例えば、朝夕の特定の時間帯だけ“うるさい”と感じるなら、その時間帯を散歩や買い物等の時間に充て、部屋から離れる事もひとつ。もちろん、“騒音”を出してる方も、音を小さくするとかの工夫する努力は必要です。でも、宗教絡みの音は、相手構わずな“騒音”と言うならば、近隣の洗濯機や掃除機の起動音も、フルボリュームでヘッドフォンから漏れている音楽とは、訳が違います。
信仰の自由を憲法で保障されている以上、いつ、どこで、どんな宗派の“おつとめ”をやっていたって、それは構わない訳です。ただ、近隣に迷惑だからという理由だけで、宗教施設の建設に反対する人の殆どは、“おつとめ”を“騒音”と感じてる人達です。しかし、寺院・社殿の近隣に住んでいる人達は、むしろそれがないと不安になります。そう、最初から宗教施設(寺院・社殿等)がある地域に住んでるモンにとって、“おつとめ”そのものも“生活の風景”なんです。逆に言えば、何も知らずにそこの引っ越してきたモンが、地元に根付いた宗教団体にクレームを出す事自体、かえって周辺住民から奇怪な目で見られるだけです。当然ですが、自分の都合だけで、鉄道会社に自分の近所を走っている路線を廃止する様訴えたトコで、利用者からの反感を買うのと同じです。もっと言えば、それと同じ位、些細な事で“うるさい”と言ってる様では、とてもじゃないですが、“普通の生活”なんてできません。
立場や、生活習慣は、個人差があります。そして、活動時間だって人それぞれです。それを自分一人の我侭だけで、いちいちクレームを出してる事自体、その地域で“きちんと生活をしていない”証拠です。つまり、近所付き合いが上手くいかない理由が、本人自身にある事に気付いていないのです。“みんなが同じ”といっても、それは自分の世界に閉じこもってる範囲での話。中には、“それ、アンタの方が悪いよ”と、直接口で言わずに心で呟いている親友もいるハズです。それに気付かない人は…ま、自ら寂しい思いをするでしょう。