迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

誇りを捨てた者の僻みw

海外のロックバンドには、時として、自分達の出身地やアマチュア時代に過ごした街の名前を、そのまま名付けてる事がある。(有名どころだと、シカゴが該当する。)今日聞いていたラジオのDJは、このネーミングを“安直でセンスがない”と批判してるが、よくよく考えた時、その“故郷”への愛着や成功したきっかけをもたらした事への感謝の気持ちがあるからこそ、その名称を使うのであり、リスペクトする事によって自分達の“誇り”にしてるとも受け止める事ができる。もちろんそれは、国歌や国旗に対する姿勢でも同じで、自分が現在住む地域や本籍地である以上、その御旗を掲げて大声で国歌を歌うのは、国民の“誇り”を顕示する行為である。つまり、その国旗を破ったり、国歌を歌わないのは、自らの手で故郷を愚弄する行為と同じであり、ひいては国の未来を思い、命をかけて戦ってきた先陣達に対する侮辱でもある。

中国や朝鮮半島に“考慮”した態度をとる事を“美徳”として教えている教職員は、表向きは極端な右翼思想(愛国心が行き過ぎて、他国への侵略すら良しとする考え)への歯止めと言っているが、裏を返せば、誇りを捨てる事での他国からの政治的介入を許してしまってるだけに過ぎない。基本的に、国際競技での国歌斉唱にブーイングする行為はマナー違反以前の問題であり、まして国旗を破ったり焼き捨てる行為は、国際社会において“宣戦布告”を意味する行為である。それを目の前でやられても、“文句を言うな”と教えてきたのが、今日までの教職員組合の方針である。つまり、自分の故郷をバカにする行為に、加担している事に気付かないのである。
百歩譲って、自分にとって“大切なモノ”を他人に奪われた挙げ句、木っ端微塵に破壊されて打ち捨てられた時、その精神的苦痛がわからないからこそ、簡単に他人を傷付けてても平気になるのであり、責任を問われると逆ギレするのである。もっと言えば、安いプライドで粋がって、“大切なモノ”を失ってても探そうとせずに“他力本願”になってる事自体、今の日本に対する失望感を増長させているのである。まさしく“自業自得”の姿だ。
今回の衆院選、まさにその“人間の皮を被った鬼畜”になるか、“未来を考える猿”になるかの瀬戸際である。どっちに転んでも不幸だと考える人程、投票所には行かない。そんな“絶望に酔いしれている”ドMな国民性が、この国を絶望の底に突き落としてる訳であり、その“腐った根性”を変えていかない限り、政権交代しても景気や治安が悪化するだけである。