迷馬の隠れ家 はてな本館

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悲しき性(さが)…民放“衰弱”の要因。

2日前に、“あどラン”仲間からメールが届いた。ま、いつもなら他愛のない一方的なメールなんだが、今回はこの場で“返答”する事にする。そりゃ、民放も開局して半世紀以上経てば、そこに勤めている連中も、いわゆる“テレビっ子”ってヤツばっかになるのは当たり前である。で、そういう連中に限って、アイディアというのは貧弱であり、尚かつ体裁を守るための番組だらけになるのはしょうがない訳で…では、なんでこんなに“金太郎飴”状態の放送形態がまかり通るのか?考えられる事をいくつか挙げるが、基本的には大まかに3つの“要因”がある。それは…
1)視聴率=人気という“数字の魔法”にダマされている事に気付かない。
2)“東京中心”という発想そのものが、基本だと思い込んでいる。
3)スポンサーが“求めている”効果を上手く活かせていない。
である。だが、NHKの様に受信料(=視聴料金)を視聴者から受け取れない民放は、政府の諮問機関から規制が掛からない(NHKは基本的に、国会で予算や様々な事業の許可が決まる)反面、“スポンサー絶対服従主義”というジレンマが憑きまとう。つまり、NHKは時の政府によって番組の内容がバラけるのに対し、民法はスポンサー…つまり広告を出してくれる企業の懐具合に左右されているため、“広告効果がない”とみなすと、途端に見捨てられるという“現実”がある。

ここに実は、ポイントがある。つまり、マスメディアの影響そのものは未だに絶大なのだが、それに似合うだけの“制作費”そのものが広告を出す企業からすれば、“足下を見て商売してやがる”という状況なのだ。コレが“大きな勘違い”を双方にもたらしていると、オイラは分析する。
昔は、そんなにCMがしつこくなかったのは、殆どの番組がいわゆる“一社スポンサー番組”だったからであり、その内容も、殆どが15〜30分の枠で収まる内容だった。ところが、最近の番組はスポンサーも複数形で、しかもアニメを除くと1時間モノが“最低規格”みたいな状況になっている。こうなってしまうと、本当にCMを流したい企業がCMを制作してもらっても流す場所がないため、ローカル系の企業がまず“締出し”を喰らうハメになる。次に有名企業でも経営が悪化してたり、広告料の値引きを要請すると、当然ながらプライムタイムから放り出される。(もちろん、世間を揺るがす不祥事に絡んでたら、即刻“打ち切り”である)この様に、折角の“お客様”に対して存外に扱っているモンだから、殆どの企業が民放で流すCMを減らし、代わりにYahoo!!やGoogleなどの検索サイトなどを使ったバナー広告に切り換えていってる訳である。コレが、先程挙げた要因の3番目の説明である。
順序が逆になったが、後の2つについても解説しておくと、1番目は“過去の栄光”にしがみつき過ぎ故の“弊害”がそこにあるのであり、2番目は“東京キー局”といえど所詮は“関東ローカル局”という概念がすっぽ抜けているから起きる“弊害”そのものなのである。
つまり、今現在活躍しているお笑いタレントの大御所どころは、かつて関西の深夜ラジオ番組や若者向けのテレビ番組で、あらゆるジャンルの芸能人とコラボしながら芸を磨いた“研磨済みの宝石”であって、ある意味若手の行く手を阻む障害物である。キツい言い方をすれば、引退するきっかけを失った“老害”以外の何者でもないのだ。だが、なまじ知名度が高く、しかも芸の幅が広いため、あらゆる場面でも“マイペース”で押し切られているのが現状である。更に、その“弊害”は政権交代の際に叫んだ“世襲反対”とは逆行する姿であり、それ故にいわゆる“業界人一家”が増える訳である。ぶっちゃけた話、そうなってしまった背景にあるのが、90年代後半に起きたの“バブル崩壊”であり、それがいわゆる“親族斡旋”というズルルールがまかり通ってしまった訳である。(この部分は、オイラも他人事ではないw)
そして、NHKの場合は、戦前からある放送局(そりゃ、元々国営と同じ様なモンですから…)故に、情報を統合し、各地の“地方局”にそれを流すためのシステムを持っているからこそ、東京の情報だけじゃなく、全国の様々な事件・事故を報道する事ができる。が、民放の場合、どう頑張ったところで、“全国ネット”といえど限界がある。つまり、新聞社毎に割り振られた“ネットワーク”があるとはいえ、地域によっては地元企業が貧弱過ぎて、新しい放送局を作ることすらできないトコだってある。(典型的なのが、宮崎県の事情。NHK以外に民放が2社しかない!!しかも、他県のテレビも殆ど受信できない!!)つまり、どんなに“地域密着”と謳い文句にしても、放送局そのものに財力がないと自社制作もできないし、まして昨今の地デジ化で機材の殆どをやり替えなければいけないとなれば、必然的に“東京情報垂れ流し”となる。TXN系の放送局によくあるケースがコレで、後発局であると同時に日経系の悲しき性でもある。まして、関西独立系や首都圏独立系も同じで、“ネットワーク”に加盟してない分あらゆる地方民放の番組を買い漁る事ができる反面、その資金調達に失敗すると、打ち切られてしまいかねない。逆を言えば、地方民放にとって自分達の番組を首都圏や関西で放送してくれる独立系は“良いお客さん”であると同時に、折角のコンテンツを安値で買い叩かれるという屈辱も味合わなければいけない“ヤな相手”でもある。故に最近は同じ内容でも価格が安くて済む韓流や華流(台湾系)ドラマの再放送などが流行る訳である。
当然だが、通販番組が増えた要因も、制作コスト以上にスポンサー(この場合は通販会社)の都合で、同じ内容のネタのみで“番組”が作れちゃうがための話である。特に、“ジャパネットたかた”の場合だと、専用のスタジオを持ってるが為に、制作コストそのものが激安(掛かってるのは社員の給与ぐらい)でCMを作れるため、あらゆる放送局の“番組の隙間”をジャックできるという訳である。(この戦略の延長線上にあるのが、CATVやCS放送にある“通販専門チャンネル”というヤツ)
だから、“魅力ある番組”を作りたいと願うなら、民放そのものが“開局時の原点”に立ち返り、少ない予算でギリギリのスタッフだけで“みんなに見て欲しい番組”を作り上げる事が重要なのであって、そこで人気者になったヤツが、後に“全国区”になろうが“世界的英雄”になろうが、それを視聴者と一緒に最後まで見届けてやる事で、初めて“番組としての成功”と誉め讃えるべきではなかろうか。そして、それを支えてくれるのがスポンサーであるべきであって、“話題性”だけでタレントを選ぶ様なメディアに出資はして欲しくない。だからこそ、今の民放がWebコンテンツの充実を図るためにも、“ニコ動”や“YouTube”等の動画サイトに過去の番組を(できれば無償で)流す事も、経営戦略上必要な“選択肢”だと思う。(そういう意味では、“Wiiの間”で吉本興業が週替わりの番組を流してるのは、ある種の戦略的考えが先行しての事と受け止められよう。)