迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

カイルの鉄ヲタマナー向上委員会〜鉄旅のススメ その2〜

カイル(以下カ):アローハ、今宵も鉄分満載でお届けしますよ。
シン(以下シ):こんばんは、シンです。
カ:さて、今回のテーマは“駅舎”をめぐる旅ですよ。
シ:そういえば…よく利用する駅舎といえど、それそのものをじっくり観察した事って、あんまり記憶がないですね。
カ:だと思いましたよw 基本的に、駅そのものの開業は知っていても、その当時から使われているかと言えば、実際は様々な変遷があって、時代とともに様々な変化をしてる訳っす。もちろん、中には開業当時からそのまんま…という、“歴史的遺産”と言っても過言じゃない様な駅舎もありますが、その変遷を巡るのもちょっとした冒険なんすよね。
シ:例えば?
カ:東京の丸の内口。そもそもは煉瓦と石組みで作られた3階建ての賢固な建物だったんですが、太平洋戦争末期の東京大空襲で大破し、戦後再建された際に2階建てになったんです。で、今回の再開発に伴い、コレを明治初期の様式に復刻させた…って事です。
シ:え、そうだったんですか?!
カ:他にも、新橋駅は開業当時、現在よりも海側…汐留付近にあったり、関西なら、南海の浜寺公園駅は、実は東京駅と同じ建築家、辰野金吾が設計した洋風木造駅舎で、国の登録有形文化財として指名されてたりしますよ。
シ:ええー、あの駅もそうなんですか… 

カ:ま、他にも…自動改札機を日本で初めて設置したのが、阪急千里線北千里駅だったり、以前、マーティさんトコで説明したと思うけど、日本で初めて、駅構内にエレベーターを設置したのが、大阪市営地下鉄谷町線喜連瓜破(きれうりわり)駅ですし…
シ:ストップ、ストップ…ようするに、何気ない駅にも、それ相応の歴史があるって事ですよね。
カ:そうそう。古くから開業している駅だと、その変遷が面白いんだけど、なかなか資料がない事も多く、地元の人でも、その歴史的価値というのがイマイチ把握できてない…という事も多いんだ。
シ:つまり、そこがなんで、そういう構造になっていたとか、どんな歴史があったのか…って事を調べようにも、鉄道会社や沿線住民がその記録を取っていないと、結果として、歴史が闇の中…てことになる訳だね。
カ:うん。中には、鉄道事業の廃止・廃業に伴い、痕跡すら残っていない駅舎もあるからね。
シ:えっと、例えば神鉄菊水山駅とか?
カ:またディープな駅名を…ま、あそこ自身は元々、信号所的なトコだったから、朝夕のラッシュ時以外は誰も利用しなかった駅でしたからね。
シ:いや…ラッシュ時でも使う人は稀で、一日平均2人…って感じの駅だったんだけどw
カ:あ、いや…そういうのならともかく…同じ様な理屈で廃止になったと言えば、南海の水軒駅。元々は材木運搬の為の貨物引き込み線だったのですが、南海自身が貨物の取扱いを廃止して以降、釣り客用に…って訳じゃないのですが、朝夕2本ずつしか走らせていなかったとか。もちろん、この駅も自動改札が付けられないとかの理由で廃止になった訳ですが…
シ:ちょっとタンマ。JR以外で私鉄でも、貨物を取り扱っていた訳?
カ:(ノ宮`)アチャー そこ、一番重要な部分ですよw
シ:え、そうなの?
カ:基本的に…明治の鉄道法に基づいて開業した鉄道会社は、そもそもJR…旧来の国鉄同様に、貨物列車を取り扱っていた歴史があって、貨客兼業が一般的だったんです。古い地方路線の殆どが、いわゆる“貨物線”からの鞍替えで旅客運行をやっているだけで、本来の使われ方から考えれば、本末転倒なんです。
シ:でも、阪急や阪神なんかは、最初から旅客運行のみだった様な…
カ:はいは〜い、そこんトコは、実は、当時の法律の“抜け穴”を利用して鉄道会社になった歴史があって、本来なら“鉄道会社”と名乗る事すら許されていない存在なんだよねw
シ:え、そういうモンなの?!
カ:詳しくやると、今日中にUPできなさそうだから、簡単に説明すると、乗合軌道車と列車は“別モノ”ってこと。ま、そこんトコは、明日以降、説明するよ。
シ:…(´審`;)ちょっと、ややこしい話になってきた様な…