迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

月刊ヒデボー通信 2012年2月号

ヒデボー(以下ヒ):チョリーッス、ヒデボーっす。今月から、通常通りの月イチ更新…という訳で、今回はボク、ヒデボーと…
マーティ(以下テ):ども、マーティです。今回はボクとのセッションというカタチで、お届けします。
ヒ:さて…今回はちょっと気になる話なんですが、マーティ先輩はこのサイトをご存知ですか?
テ:マスター経由では知ってますが、親日家でマスコミや政府のデタラメを批判してる方ですよね。
ヒ:ええ、そうなんです。今回は、その動画の中で、ちょっと気になった内容の話があったんで、それをピックアップしようと思います。まずは、こちらの動画をご覧ください。

なお、今回はニコニコ動画に挙げられている、日本語字幕版でお届けします。

テ:重要な点をいえば、社会共産主義の行き過ぎた思想…の批判と捉えていいのかな?
ヒ:スウェーデンがそういう国だとは思いたくないのですが、ちょっとおかしくないですか?普通の親子が普通に海外旅行しようと空港まで行ったのに、そこで強制逮捕・収容所へ収監って…
テ:内容を精査しないと何とも言えないけど、確かに、どっかおかしな話だよね。
ヒ:どうもこういう社会主義国家には、親子の絆とか家族愛という概念がすっぽ抜けてる部分がある様にしか思えないんですよ。
テ:ま…共産圏の国々では、往々にして宗教や道徳といった、人間の“生きる尊厳”に対して批判的なトコがあるからね。その“原因”が、宗教の堕落というか、聖職者の腐敗が背景にあって…という部分があるんだけど。
ヒ:そうですよね。北朝鮮でもそうだし、中国でも、そういう部分ではよく似た事やってますよね。
テ:ただ、これはもうひとつ、教育現場での問題でもある…と、ボク的には思うんだ。
ヒ:つまり?
テ:日本で急増している“モンスターペアレンツ”ってのは、教育の現場で道徳や社会マナーを排除した結果じゃないかな?って、ボクは思ってるんだ。つまりは、それを望んだのは、幼い頃にそういう教育を受けた者よりも、それを教え込んだ教育者に問題があると…
ヒ:よういえば…日教組の概念って、教育者の地位向上が優先でしたっけ?
テ:そこんトコは、今度チルトに聞いてみるといいよw だけど、共産主義を掲げる人の多くは、まずは“自分の言いなり”にならない者を極端に嫌う部分がある。また、反日感情を持つ人の殆どが、そういう教育を受けていて、真実そのものを受け入れられないんだと思うね。もっと酷い話をするなら、その概念には“自分のみ”の幸福論でしかなく、他者を思いやる、あるいは、自分を犠牲にしてまでも守るべき事柄の“論点”そのものがズレている事に、全然気付いていないんだよ。
ヒ:(-秀-#)それ、ボクに対する批判っすか?
テ:(^政^;Aそういうつもりじゃないんだけど…ようするに、共産主義…というより極左的思考の人は、誰よりも思考そのものが幼いというより、未熟過ぎるって事なんだ。
ヒ:未熟って…w
テ:もしも日本が、極左主義で成り立っていたら、去年の東北や長野北部での震災が起きても、復興どころか救援もなかっただろうね。だって、他人が死んでも、自分だけが生き残れば、問題がないのだからね。その“他人”が、自分の親や兄弟、子孫であっても…ね。
ヒ:あ、そういう意味か。でも…確かにそうですよね。17年前の阪神大震災でもそうでしたが、自衛隊に対しての救援要請を、政府そのものが尻込みしただけでなく、自衛隊を批判してた人々が、挙って神戸から“避難”という名目で逃げ出して、何も支援もしなかった訳ですから…
テ:やむなく県外に避難した人はともかく、それは一番いただけない話でしょ?
ヒ:確かに…
テ:仮設・復興住宅の件でも、地域コミュニティーを無視して、高齢者優先で放り込んだという弊害で、孤独死をした高齢者が、後を絶たなかった…現在の東日本・栄大震災でも、そこの部分が懸念されているし、まして今回の場合、福島県の一部自治区原発事故の影響で、全住民を地域外へ避難させなきゃいけなかった。除染したからといっても、放射能の影響は今後も残る訳だし、まして、そこで生きる人々のうち、若年層が長期にわたって放射能の影響を受け続ける事は、避けられないからね。そういう事を考えた上で、避難せざる得ない人と、自分自身の勝手で復興の手伝いもせずに逃げるのでは、完全に意味が違う。もちろん、身障者で身動きが取れないとか、高齢で作業がおぼつかないとか…そういうのは抜きで考えた場合だよ。まだ動けるのに、まだ使えるのに、目の前の惨状を見て絶望し、悲嘆に暮れて泣き叫ぶだけじゃ、逃げているのと一緒だよ。
ヒ:そう…ですよね。あ、そうか! つまり、社会の仕組みの中で、一番重要な繋がり…それが地域であったり家族であったりという部分が欠落してると、結局、有事の時に臆病になるという事っすね。
テ:そう。行政を怨む事があっても、それは個人単位の部分。大まかな部分しか支援できないんだから、細かいトコまで行政にやってもらおうと考える事自体、人間として“生きる喜び”を放棄してるのと一緒なんだ。言い方が悪いかと思うけど、企業や行政なんて単なる枠組みであって、その組織そのものが何かを成し得る為には、そこに在する者一人ひとりが、何らかの役割を持った上で行動してこそなんだ。その“最小単位”こそ家族という“絆”であって、“個人”ではないんだ。個人はどこまでいっても“単体”であって、組織じゃないからね。だから、それぞれの役割分担をキチンと把握して、その上でどういう関わり方をするか…責任を他人に擦り付ける事よりも、まして、他人に肩代わりをするのでもなく、自分自身のできる範囲の行動で、互いを助け合う事にこそ、本当の意味で組織という存在が維持できるんだ。だから、甘えるのではなく支え合う事、侮蔑するのではなく尊厳を守ってやる事にこそ、国家と国民の“信頼関係”が生まれるんだと思うよ。だから、法律で雁字搦めにして、まして、親子の縁を挽き千切る様な政策をやっている様では、いつか国そのものが滅びると思うよ。
ヒ:…どっかの宗教法人が言っている事と、なんか似てますねw
テ:それは言えてるw

ヒ:というわけで、今月はこのへんで。お相手はボク、ヒデボーと…
テ:マーティでした。