迷馬の隠れ家 はてな本館

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思わずザマミロな話〜西日本停電寸前騒動〜



昨日の“全国冷凍付けw”状態には、流石に堪えた人も多いだろう。しかし、それ故にファンヒーターや電気ストーブを使おうと思った途端、電力会社から“節電SOS”のメールを受けた人もいたのではなかろうか?はっきり言おう。震災以前の電力供給量であれば、全然平気だったのに、余計な事を言ったばかりに…って事である。つまり、今回の“電力不足”の原因は、ズバリ、不用意に原発を“止めた”からである。逆に、試算上で電力供給が足りていたとして、それは何を意味しているのかを考えて欲しい。つまり、後先を考えずに原発を廃止に追い込もうとするバカがいる以上、その事が却って、日本そのものをダメにするという事だ。

確かに、原発重篤な事故…ま、福一の件とまではいかなくともだが、それによって放射性物質が放出されれば、防ぎようがないのが事実だが、ゆえに、そうならない様に管理を怠ってはいけない訳であって、単純に廃止する事ができない代物である。しかし、それ故の“雇用”があって、廃炉処理も除染も、ある意味では雇用の創出を促すきっかけになっててもおかしくない。が、それを、東電のみに押し付けたり、国の責任だからと怒鳴ってるバカは、ちょっと頭を冷やしてもらいたい。もし、本気で原発を潰したいのなら、放射性物質を気にせず、重機のエサ…もとい、解体作業をやってもらうべきだろう。しかし、それはチェルノブイリ以上の犠牲とビキニ諸島の住民以上の社会保障を行う必要性が出る。その費用を捻出しようと思えば、消費税10%以上の騒ぎでは済まない。だからこそ、慎重に解体作業を行う必要性があり、それに従事する作業員の安全確保が必要である。また、ニュースでは報じられていない“被害者”の件も、作業を請け負っている土建屋の選定を間違っている…というより、コストダウンを考えれば、孫請け会社が犠牲になるのは当然であり、それ故に、給与を厚遇する代わりに、放射性物質による被曝が機縁すると言われる疾患があっても、それを無視するといった具合である訳だ。(そこんトコは、鎌倉時代において、2度の元寇において、無い袖振れぬと言って褒美をケチった(@“神風”のウラ話)幕府と体質変わらん訳でw)
で、今回、何が起きたかという部分を説明すると、要するに、九州という地理故の“事故”が発生したという訳だ。つまり、大分にある九州電力の新大分発電所(火力)の燃料供給用のバルブの一部が、この寒さで凍結して、発電機全部が緊急停止したという事。でも、雪国に住んでいるならわかると思うが、凍結対策として、予めバルブや配管を断熱材を巻き付けておけば、ある程度は凌げる訳なんだが、それをやっていなかった…という訳だ。そう、“南国”故に寒冷地仕様の装備を省略した結果、今回の大寒波に耐えきれずに、一時的に“あぼ〜んw”という訳である。そして、それが、原発を止めているがために電力不足状態にある関電や四国電力等の電力融通を、逆に呼びかけざる得なかった…という訳だ。
もし仮に、美浜原発のうち、一基でも再稼動させていたなら、ここまで逼迫する事も無かっただろうし、玄海原発に関しても、市民団体の意見を無視してでも再稼動をやっていたなら、まずこういった“非常事態”に対応ができた…現時点で、太陽光や風力を使って、あるいは休眠中の他の火力を無理矢理でも動かしていれば…と言ってるバカに対して言っておく。この時期に太陽光は、日照時間を考慮しても昼間の電力を賄えるだけの出力は期待できないし、風力に関しても、その動力部が、外気に含まれる水分が夜中に凍結したら、動かす事すらできなくなる。ただ、幸いというか、九州には実験用の地熱発電所があるんで、コレを活用すれば…と言うだろうが、コレとて、配管の一部が外気と触れる様な状態になっていると…である。つまり、無理矢理原発以外の方法でやろうとするから、却って他の対策が遅れた…と考えていい。
逆に、電気を使わずに済むなら、ここまで慌てふためく必要も無い。何故って、化石燃料の代わりに、間伐材や廃材を燃料にして暖を取れば良い訳だし、その火を灯りとして使えば、手元だけ照らせば、普段は事が足りる。つまり、夜は早めに就寝し、朝もちょっとゆっくりすれば、どうって事はないという事だ。但し、何度も言うが、それができるのは、豪雪地帯でもなければ、自然災害で被災した地域でもない。冬場でも雪が降らず、そういった被害を受けない場所で農業、あるいは林業をやっている人のみだ。また、漁業でも、浜に流れ着いた流木や廃材が豊富なトコでは、燃料に事欠く事は無かろうが、海流の加減でそういうトコじゃない者は、どうやってそれを確保できるか?ここまで考えて、それでも自然保護だの原発反対だのと唱えるなら、余程の覚悟があるとお見受けする。しかし、簡単に、自分がラクできる生活を改める事など、到底不可能である。なぜなら、その生活に慣れて、堕落した状態の者が、ある日突然“サバイバルしろw”と言われて、ナイフ一本と毛布一枚だけ持たされて、無人島に放り出されたら、どうやって生き延びられるであろう。キャンプの経験があるといっても、それはレクリエーションとして事前に準備をした上で、必要最低限度の装備を持って来ての話である。極限状態において、一番重要になるのは、便利な装備を揃えていなくても、なんとか切り抜ける為の知恵と度胸である。つまり、自分の生命を掛けて、相手の“命”を奪う事に躊躇しない事だ。
事実、阪神大震災の時でもそうだが、火事場泥棒は、あの被災地で死臭も気にせず、金品を瓦礫の下から穿り返して奪っていった…まして、暖を取る為に、全壊した木造住宅から“燃料”として廃材をかき集めた人がいる。本来ならそれは、不法占拠であり、廃材と言えど建造物を“破壊”した事に変わりは無い。だが、災害という極限状態で、法律を生真面目に遵守して、生き残れる訳が無い。本来なら前者の“不届き者”と区別するべきだろうが、“生き残ること”として取った行動としては、目的は違えど、どちらも同じだ。逆に、危険だからと救援を待って、助かるとは限らないし、危険を顧みずに救援を求めて外へ出る事も、必ず失敗するとは限らない。そこは、生きる為の“執念”があるかどうかであって、ただ、気が動転して騒いでるだけの状態では、結果として誰一人救われない。
だから、今一度言う。事故が怖くて原発を憎むなら、自分がやっている“便利な生活”を、今すぐ捨てなさい。不便な生活をしていて、インターネットもやらない人は、最初から、そういうモノは不要だと、身を以て知っているからこそできる。今までバカにしてきた林業や農業、漁業を尊敬できる人は、それを守る為に、自分にできる全てを以て、その地位を向上できる様に行動を起こそう。そして、必要以上に科学を憎む事より、それを利用するかどうかは自分次第だと、胆に命じなさい。その覚悟なしで我侭を叫ぶなら、それはやがて自分を惨めにさせる行為だと、過去を鑑み未来を見据えなさい…と。