迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

マナーレス報道の弊害…とある現場の嘆き

以前から、ちょくちょく指摘されている、一部マスコミの“マナーレス”な取材体勢。それが際立ったのが日航ジャンボ機墜落事故であり、以降、それはますますエスカレートしてる様に感じてた。が、昨日の“事件”に関して、救命医療に携わっている方が、こんな嘆きをBlogに綴られていた。(詳細はリンク先参照。)

情報規制がどうのこうのと言う前に、まず、今のマスコミが如何に“えげつない”かを知り、そして自らの襟を正さない限り、一部の政治家がこの“悪癖”を理由に法規制を掛けたとしても、文句が言えなくなる。そう、事故や事件に巻き込まれて亡くなった方の遺族に対して、カメラやマイクを向ける事程、報道に対する不信感を煽る事になり、そして、新聞の売上やテレビの視聴率が下がる…というスパイラルに陥る事になる。
マーティの“生前さん”…もとい、逸見アナが書き残してくれた本の中にも、彼だからこそ経験した取材での“裏側”について、こういう話がある。今から41年前の事、熊本の大洋デパートで火災があり、取材に行った時の事。それは、マスコミ人として初めて、犠牲者の姿を間近で見た経験だという。そこで、遺族にマイクを向けろと先輩のディレクターが指示を出したが、何をどうやって聞き出せば良いのかわからないどころか、突然の悲しみに耐えている遺族の心情を思うと、それはできなくて…

「僕が熊本の現場まで来たことがわかれば、もう十分なんじゃありませんか」
と、いったのを覚えている。(“魔法のまじめがね”から抜粋)
だけど、残酷なことをせよと、結局は心苦しい思いの中でマイクを向けたのはいうまでもない話だが、この一文で、報道記者の“良心”をわかって欲しい部分がある。そう、こういう事を命じたのは、いうまでもなく“視聴率が取れるから”とか、“新聞の売上が上がるから”という“数字のまやかし”に囚われた、上層の幹部達であり、中には取材そのものを中止する様現場で訴えても、それを許さない背景がある。これこそ、今のマスコミがネット上で“マスゴミ”と揶揄される一因ではなかろうか?彼もまた、それ故に苦言を呈している。
ここから先は立ち入ってはいけない、という一線をどこに引くか。ここにこそ「報道の自由」を錦の御旗とするマスコミの行きすぎに、歯止めをかけるポイントがあるのではないか、と私は思う。(“魔法のまじめがね”から抜粋)
彼が残した、報道人としての心が、そこにある。
もちろん、これをもってマスコミの取材体勢を庇うつもりは毛頭無いし、遺族の心情を無碍にする今のあり方を非難する為にも取り上げたまでだが、その“情報”で“から騒ぎ”しているのは、受け手である自分自身であることも否めない。そう、報道のあり方以前として、事件とは“無関係”な人間が、犯人や被害者を批判する資格などない。あくまで、そういう事があったという程度で留めておくべき“事案”にも拘らず、その詳細を、まるで“当事者”の様に知ろうとする事自体がおかしな話である。もっと言えば、新聞・雑誌の読者および視聴者自身が、マスコミの“過剰報道”を煽っているのであり、また、そういう事案は当事者と同じ心情にならないとわからん部分である事を、忘れてはいけない。つまり、同じ様な事件・事故が発生し、被害に遭わない限り、想像するのは勝手でも、それを“知った振り”する為にマスコミの情報をアテにする方が“間違い”だってことだ。
今回の事故に振れておくと、これは行政のあり方等を批判する前に、運転手の“過信”こそが全ての引き金である。つまり、徹夜で“峠攻め”をやった挙げ句、信号やガードレールなどがある程度ある国道よりも、地元の“抜け道”として使っている“通学路”に、しかも速度違反して突っ込んでいる訳だから、犠牲者遺族にどんなに詫びても許されない話である。まして、無免許なんぞもってのほかだ。(それ自体が道交法違反だからね。)ただ、報道に誤りがあるなら、平然と携帯電話を弄ってたとあるが、それは救急車を呼んでいる場合なら話は別。ゲームをやっている、あるいは仲間や家族に…なら、相当な神経の持ち主だが、気が動転してるからこその行動であることと、そうでない場合の行動では、意味合いが違ってくる。そう、“どうして良いのかわからない”からこそ、とった行動ひとつで誤解される部分もあるって事だ。こういう部分もマスコミは“悪い方向”にしか報じない。実経験から言わせてもらうが、事故をやった時に、真っ先に警察や消防に電話する事ができるのは、最悪の事態を自分で想定し、常に緊急連絡の手順を間違えぬ様心掛けていなければ、どこにも電話をする事すらできない。まして、走行中に故障した場合、最低でもJAFか、自分の知っている自動車整備工場へ連絡を入れるのは当然のこと。それによる事故の場合は、警察に一報入れるのがスジというモノ。それを見て“携帯電話を弄ってる”とか、“くだらない話をやっている”とか報じる方が、よっぽどの神経であり、逆に事故後の対応とかがマズいのは、加害者自身に余罪があるからこその話。(今回の場合は、無免許の発覚を恐れたからこそ。)そこんトコを、ゴチャ混ぜにしてはいけない。まして“未成年だから刑罰は軽い”とおっしゃる方、現行の少年法は、いわゆる“酒鬼薔薇”事件以降、重篤な事件を起こした場合は、大人と同等の刑罰が施行されるんで、今までの概念は捨てた方が良いですよ。
閑話休題、急速なモータリゼーション化に対して、行政の対応が遅れた等と批判する前に言っておくが、道路の拡張や規制を阻害してるのは、いうまでなく“抗議運動”をやってる連中であり、道路拡張の為の立ち退き交渉や、一時的な交通規制に反発した者が、結果としてこういう“事故”を発生させる要因を生んだ責任があるという事。将来を見越して、また、重篤な交通事故を想定して、行政と話し合うのがスジであるのに対して、ただ単純に“駄々捏ね”して賠償金を釣り上げたり、行政執行を阻害してるからこそ、批判される事を忘れてはいけない。また、マスコミもそうだが、当事者以外が真相に触れる事は、場合によっては真実を歪める結果になりかねない。だからこそ、報道に携わる者は今一度“襟を正して”本来伝えるべき“情報”を、正確に、且つ、ありのままで報じる様、心掛けるべきではなかろうか。

教訓:過熱した“報道レース”は、世間に対して“真相”を、一切報じない…