迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

愚か者程、知らぬ間に…

今日は…否、今日から原発ゼロの状況である訳だが、コレを素直に喜んでいる愚か者は、ちょっと考えて欲しい事がある。今回の状況は、決してみんなが望んだ“結果”ではないという事と、本当の意味で“核廃絶”を訴えている人程、実はいっちょかみな知識だけで、被災者を、あるいは今も放射能と戦っている人々をバカにしてるという事…そう、被曝するのが怖いなら、最初から命あるモノとして生まれてくるなって事だ。

大体、内部被曝が怖いのなら、日本産はもちろん、海外の農産物や魚介類なんて、絶対に口にしてはいけない。なぜなら、日本の場合、福島県とその周辺はともかく、瀬戸内の魚介類や農作物だって怪しいモンである。意味がわかっている人なら納得されるかと思うが、広島の原爆で散った放射性物質は、その後瀬戸内海に流れ込んでいる訳だから、当然ながら広島県沿岸と、その対岸にある愛媛県、隣の山口県岡山県、そして香川県も、その影響は少なからず受けている事を意味する。また、岡山県鳥取県の県境付近には、かつてのウラン鉱脈である人形峠が存在する。つまり、その付近で降った雨はやがて日本海に、あるいは瀬戸内に流れ込む…ま、天然ウラン自身は途中の河川や地下水脈の部分で沈むんで、水そのものはどうって事はないが、それでも他のミネラル成分が微弱ながら放射線を帯びている可能性がある。つまり、西日本…それも瀬戸内で放射線被曝量が高いのは、その一部には、広島に落ちた原爆の影響もあるということ。そして河川の上流部に天然ウランが存在してる以上、その周辺の河川や海が自然と放射線を帯びてても、コレ自体は仕方がない話だって事だ。だって、コレを“除染”するという事は、地中にある天然ウランを“採掘”してるのと一緒だからねw まして、北海道産の農作物…特にジャガイモとタマネギはかつて、出荷の際にコバルト80を照射して発芽を防ぐ加工をやってからでないと出荷できなかったという、笑うに笑えない話がある。今でこそ、冷蔵・冷凍技術が発達したからこそ、そういう事は行っていないが…
更に、世界に目を転じると、自分達が普段から食すもの…特にアメリカやフランス、ウクライナ、中国の農作物なんて、オイラが安易な核廃絶を叫ぶ側だったら、絶対に買わないと思う。ウクライナに関しては、チェルノブイリ原発事故の影響なのは理解できる範疇だろう。しかし、その小麦やジャガイモが、何も知らずに他国で加工されているなら…ここんトコを想像して欲しい。況や、アメリカや中国の場合、生産されている地域によっては、地下核実験の影響を受けている場所で生産された可能性があるし、フランスの場合は農地のすぐ傍に原発がある…こんなトコで作られた農作物を、いくらガイガーカウンターが反応しなくても恐ろしくて堪ったモンじゃない。当然だが、オーストラリア産なんて、天然ウランを採掘してる以上、人形峠同様に危なっかしくて手が出ない…ついでを言えば、太平洋上で水揚げされた、あるいは回遊してた魚なんて、食べられたモンじゃないよ。なんせ、過去にビキニ環礁タヒチ近海で核実験をやってる訳だし、実験をやったアメリカやフランスは“漏れてない”と言ってるが、それを信用できるか?
ここまで言ってもわからない人は、なんで動植物は、内部被曝のリスクを背負ってまでも、そこで生活をしてるのか、考えて欲しい。そう、自然界の掟を遵守してる以上、被曝を恐れて食べる事をやめれば、それは生存競争を放棄する事を意味してるし、未来への可能性を賭けて、放射線被曝から逃げもせずに“食べる”という本能で“除染”をやっているのである。つまり、人間は簡単に地表を剥いだり水を濾過してまで除染をやるが、自然界では、それは“御法度”とも言える行為だ。逆に言えば、自然と共に生きる者にとって、変な延命長寿よりも未来のリスク軽減の為に、みんなが犠牲になりながらも自分の体内を通じて毒素や放射性物質を取り除き、無毒化する方を選ぶのが、本来の“除染”である事を知っている。ただそれだけの話。まぁ、これから子供を産み育てる立場なら、生まれくる子供が不憫かもしれないが、それを言い出したら、67年前に被曝した母親のDNAを受け継いだ、いわゆる“被曝二世”とか言われる人達が、そのDNAを引き継いだ子孫を生み出せる訳がないですやんw
そう、過剰な恐怖心はやがて、自分自身の生存権を疎かにする行為だって事に気付いて欲しい。それに、放射線被曝のリスクに関しては、未だに憶測の粋でしかないという事にも気付いて欲しい。何度も言うが、オイラの知り合いには原爆で被曝しながらも、今日まで元気ピンピンに走り回ってる“実例”がいる。それをもってオイラは、内部被曝を恐れない。むしろ、自分が犠牲になる事で汚染された土地や空気を、水を浄化できるなら、敢えてそっちを選ぶ。それが、地球を散々穢した生物としての“責任”ですから…