迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

開示?隠蔽?情報の正しい“取扱い”説明…

現在(18:20)、東京メトロ副都心線で、運転を見合わせているとの事。(ま、詳しい事は、コレで、察してくれ)ただ、Twitter上では、“現場の惨状”を伝えないメトロの対応に対して批判的な意見がチラホラ見受けられる。こういう意見の人程、野次馬根性丸出しの、しかも現場で作業してるモンの邪魔をしてる様なモンであり、却って迷惑だ…と、オイラは思う。確かに、正確な情報を求めたい気持ちはわかるが、他の利用客が、その情報を聞いて、冷静に対処できるのだろうか?

つまり、ここで考えて欲しいのは、一過的なパニックを避ける為の“隠蔽”と、緊急事態につき早急な対応が必要な為の“開示”は、ともに利用者…もっと言えば地域内に滞在する“該当者”全員に対して、どうするべきかを考え、察知する思考力が充分に備わってこそ意味がある。が、それが“不十分”な者程、余計な事をやって事を拗らせる。もっと言えば、施設内にいる利用者の“安全”を優先にする為にとった行動が、外部の人間からすると“歯がゆい”訳である。しかし、もしも自分が現場の“最前線”にいたとしたら、その“行動”が正しいかどうかは、別の話になる。つまり、最小限の情報で、選択肢がいくつあって、そのうち、最優先されるべき事案は何か…その“答え”がはっきりしてるなら、それを“実行”してナンボである。
東日本大震災の時でも、本当に重要な情報…というか、地元の人間に真っ先に伝えるべき事は、原発事故や津波の被害ではなく、そこから“逃げる”為の安全なルートと、逃げ遅れた際の“シェルター(退避所)”の有無であり、医療機関に必要なのは、重篤患者の避難搬送の手順とルート、使える病床の数であって、また、自衛隊にとっては、避難所の規模よりもドコにあるかという位置情報であって、それ以外の様々な“惨状”を伝える必要性など無い。むしろ、そういうのを真っ先に報じてるマスコミの“観客重視”な情報程、現場を混乱させるだけでなく、そういうのを見て喜々として騒ぐバカを増殖させるだけである。
逆を言えば、トラブルの現場にいるモンに対して、素直に“真実”を述べて、冷静にいられる様な者はいないし、パニック状態で状況判断が難しい時に説明しても、重要な部分がすっぽ抜けて、結局被害を拡大させる事になりかねないという事。反対に、何らかのトラブルが発生した際に、根本的なミス(設計上の強度不足とか、必要な部材を抜いた等)を隠したままで説明しても、それが原因で余計に現場が混乱する事もある。しかし、それらはあくまで“時と場合”の話であり、本当に“必要”な情報は、自分自身の行動に、どのような影響と対策が必要なのかを判断する基準としての役割を担う程度に留めておかないと、イザっという時に動けなくなる…そう、情報が“錯綜”する最大の原因は、当事者でもないのにトラブルに首を突っ込んだり、必要な技量も無いのに関わろうとする“野次馬根性”がすべてである。
オイラも、19年前のニュートラム事故に遭遇した経験がある。以前にもその事を書いたとは思うんだが、報道の中継車や取材ヘリの音がうるさくて、何が起きたのか、正直オイラもわからなかった。(ちなみにオイラ、該当する事故車両よりも2本程前の列車に乗っていて、住之江公園に到着した後だったw)ただ、バスに乗らずに徒歩で帰ろうとして振り返ったら…であるw (ちなみにその後、運転再開までのしばらくの間、会社では遅刻しても理由が理由だけに大目に見てもらったw)
ともかく、様々なトラブルがあったとしても、自分自身にとって優先すべき事は何か…というのがわかってるなら、余計な事を考えない方が、却って我が身を守る事にもなる。逆に、情報に惑わされてフラフラしている様では、有事の時には逃げ遅れる。つまり、詳しい事は後でも調べられる事なら、現場で事情を聞く必要は無い。だが、他の事で自分に関わる情報を聴き逃してる様では、嘘をつかれてダマされても、その怒りの矛先を相手に向ける事はできない。本当に意味で“知りたい情報”とは何か…それは常に、時と場合による訳であって、どうでもいいと思う情報は、最初から無視して構わない。御書にも“時に適う”という金言があるのだが、まさにそれである。(学会員に業務連絡:開目抄や撰時抄などに記載がありますよ。詳しくは、公式サイトの会員サポートの御書検索でググれw)
ともかく、自分自身の現段階で“本当に必要な情報”とは、本当にその“現場”に立ち合っていない以上は、関わる必要性のない話であり、逆に、多彩な才能があったとしても、その“使いどころ”を間違えると、バカにされて当然である。しかし、精進する者は現状に留まる事を良しとしないからこそ、様々な研鑽を行いながら自分を磨くのであり、決して驕れる事は無い。また、他者とのふれあいが少ない事を嘆く人程、実は他人との付き合い方が下手故に、それを嫌って他人との交流を拒むというスパイラルに陥っているだけである。情報を的確に扱う為には、Web上の擬似的な付き合いも良いが、時として現実社会上での“対話”も必要。そこから、いろんな事を学んで、それを活かせてこそ、初めて情報の“真意”を知る事ができるのである。

教訓:情報が錯綜するのは、自分自身にとって必要なモノが、自分で把握できていないからこそ。基本は、自分自身の現在進行形であり、他人の秘め事の殆どは、当時の自分にとっては不要な情報。嘘や隠蔽も、時には必要。それをなくすと、真実を受け入れられなくなる…