迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

何故中・韓は“天皇”を恨むのか?

このタイトルに関して、先に結論を言えば、単純に日本の皇室が羨ましいからです。そう、“若い国”にとって、古くからの王族・皇室といった“高貴な存在”を尊ぶ国を見下すのは、一種の強がりであり、また自由であるがために自分達の向かうべき“国のあり方”に迷いが生じている“証拠”なんです。もっとわかりやすく言えば、欧州の国々でも、王室や貴族が存在する国では、法律や憲法で政治介入に関して制限があるモノの、その存在を否定したり、不満をぶつける対象として見る人は、皆無に近いです。また、ムスリム(イスラム)圏の王族は、宗教の戒律に従い、身銭を国民に振る舞う事が義務付けられている為、巨万のオイルダラーを使ってやりたい放題する代償として、国民の光熱費や税金、果ては医療費や学費まで全て賄っています。つまり、貴族が“貴族”としての仕事をやっている以上、その下々の民は憤懣をぶつけるどころか、その恩に報いようと行動を起こします。しかし、そういった高貴なる存在…国家におけるフラッグシップ的存在の者が選挙や情勢でコロコロ変わる様な国では、自然と国民も付き従う事ができなくなります。そう、アメリカも建国当初はともかく、今の混迷ぶりの背景には、そういった真の意味での“強いリーダー”が存在しない事から、貧困層と富裕層で“温度差”が生じ、混迷していくのです。

そう、北朝鮮が未だに金日成一族に対する“絶対服従”を強いる背景も、結局のところ、日本の皇族の存在を真似ているだけの話であり、そこんトコの部分を理解できれば、如何に韓国が歴史改竄をやろうとしても、そして中国が過去を否定しても、それは世界中の、しかも建国当時から王族や皇室を有する国からすれば“ちっさい話”になる訳です。ただ…だからと言って、皇室や王族・貴族による政治が正しいとは限りません。あくまで、それらが上手く機能してる国とは、国民と皇室・王族自身が、互いに強い“信頼関係”があってこそ成り立つモノであって、ちょっとでも国民に、あるいは王族の者が不信感を抱けば、それが因で国家が崩壊する恐れがあります。だから、どんなに貧乏な王様でも、下々の民の為に身銭を切り、ボロボロになるまで民の為に尽力するのは最低限度の務めであり、また、王が仕切る領地の民もまた、その恩に感謝し、それに似合うだけの仕事をこなすのが義務なのです。
これは何も、国民と為政者に限った話ではありません。どんな組織…そう、最小単位の“家族”でも同じ事で、子供を育てるのは親の仕事であり、子供はその恩に報いようと精進するモノなのです。それ故に子供は、親に知られたくない悪業や失態を隠そうとします。国もまた然りで、国民の中には、そういう為政者に対して賄賂や情報操作を使って、自分の“思い通り”にしようとする輩がいる訳です。しかし、それを見抜き、叱る事ができる存在は、民主主義や共産主義にはありません。最終的には、責任逃れの為に国民同士で罪の擦り付けが横行する事になるのです。逆に、民主主義でも社会・共産主義でも、本当に“成功”している事例は、基本的にいわゆるロイヤルファミリーと称する“生け贄”が常に存在し、それが国家・国民の総意として表舞台に立ち、様々な振る舞いを示すのです。当然ですが、その“個人的意見”に国民は一切、不平や不満を口にしてはいけない…否、その責任の重さを痛感し、支えなければならないのです。
よく、こういう意見を書くと、すぐさまネット上では“ネトウヨ”とか、“ウエメセ”と批判する人がいますが、実はそういう人達こそ、自分自身が中心でなければならない…いわゆる“中華思想”の典型的な人です。つまり、自分以外の人の意見等“邪見”であり歪んでいる…と。しかしそれは、自分自身の性根が歪んでいるからこそであり、また、その姿勢で他者を見ると、当然歪んで見える訳です。逆を言えば、本当に素直な人は、どう考えても“おかしい”と思う事に対し、正直に“おかしい”と言える人であり、また、客観的なモノの見方ができる人です。そして、そういう人程、地位や外見と関係無く、正義感が強い人です。ま、その“正義感”こそが、実はクセ者なんですが…w
閑話休題、このBlogでは何度も言っているが、“襟を正してモノは言え”というオイラの“座右の銘”は、まさにこの事であり、相手がどんな地位であろうが、名声を持って様が関係無く、正確に相手を諭すには、自分が今まで学んできた事全てをぶつける事と、それらを如何にして後世に伝えるかの二つです。今は批判され、バカにされたとしても、結果というモノは残酷なまでに、本当の“正義”を掲げ続けた者にしか現れません。ですから、相手をバカにした以上は、その“結果”を実証する為にどんな事をすればいいのか…この時点で既に勝敗が決まるのです。バッドエンドの結果でも、ハッピーエンドでも、素直に受け止められる人は、その答えに満足せずに精進を重ねます。しかし、何とかして相手を侮辱しよう、あるいは自分以外の者を消そうと躍起になる人程、歴史や文化を破壊しようと、あるいは捏造しようとします。でも、どんなに真実を闇に葬ろうとしても、それが結果として自分自身を苦しめる事になるのです。今の日本の政治でも、そしてアメリカやユーロ圏の財政も、根本的な部分は、まったく“同じ”です。
ま、そういう社会を望んだのは、未来を信じ、次世代の者に託した先人達であり、それに乗るか逸るかは今を生きる自分(先人から見ての次世代の者)次第です。それを忘れ、“我が世の春”だけを望むのであれば、子孫末代にまで恨まれて当然です。どんな恨み事があっても、それは自分だけに留める様にしなければ、いずれ多くの人々を不幸にさせます。その忍耐力が、今、欠けてる様に思うんです。いずれ歳を取り、老いて滅ぶ身です。自らが示した姿勢が、後世にも“名声”として残る様にするには、どこまでも自分自身を諌められる、深い慈愛と忍耐力を身につける事です。それができる人が常にトップにいる国であるなら、皇室や王族といった“特別な存在”を求めたりしません。逆に、そういう人がいない…否、国民全てが精神的に“子供”だからこそ、そういう存在を求めてしまうのです。