迷馬の隠れ家 はてな本館

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マスコミの信用が下落した“理由”とは…ネットと政党の話。

自民党は26日、安倍晋三総裁と野田佳彦首相の党首討論について、29日夜にインターネット動画サイト上で応じると文書で回答した。民主党が26日、すべてのメディアに公開するよう提案したのに対し、「インターネット番組は誰でも参加可能で、双方向かつ世界に開かれている。お越しをお待ちしたい」と譲らない構えだ。

 民主党は27日、自民党に公開討論を再度申し入れる方針。安住淳幹事長代行は26日夜、千葉県市川市内で記者団に「なぜ動画サイトにこだわるのかよく分からない。自分の都合のいい土俵で待ってますみたいな話はよくない。もっとフェアにやった方がいい」と不快感を示した。

 一方、公明党山口那津男代表は26日の記者会見で「2党だけをクローズアップするのは避けるべきだ」と指摘した。(by:毎日新聞 2012年11月26日23時配信分)

この記事の一番最後、公明党の山口代表の一言こそ、本当は重要な話で、マスメディアが本気で政局を睨んだ報道をやるのであれば、全て“生放送・ノーカット・無制限”での討論会をやるべきであり、また、議事進行はそれこそ完全な中立を保てる人物に委ねてやるべきである。そう、本来なら地上波だろうがネットだろうが関係無く、そして、政党の垣根を越えて、自由に思いの哮りを叫ぶ場を選挙前に設けるべきであって、それを拒むのであれば、批判されて当然である。そして、単に二極化するのではなく、政党全ての“言い分”を、国民…いや、全ての有権者は知っておく“義務”がある…それを拒否った時点で、既に国民が政治から“置いてけぼり”状態を打開する術を失う事を意味する。何度も言うが、国民との信頼関係なき政治は、国を滅ぼす“一凶”である。

さて、ここからが本題。何で自民党安倍総裁がニコ動での討論会を呼びかけておきながら、野田総理が拒否をしてるのか…その一番の原因が、民主党が政権を維持できたのが、マスコミのよるマインドコントロール…つまり、汚沢の手腕に乗っかったやり方であって、しかも不都合な部分をいつでもカットしてくれる“有難い存在”だからこそ、生配信で、しかもノーカットのネット番組を嫌うのである。もっと言えば、多くの代議士がネットによる選挙活動を法律(公職選挙法)を根拠に嫌がる理由も、実はそういう部分…特に選挙権のない未成年にツッコまれるのが嫌だから、逃げ回ってるのが実情である。つまり、TwitterFacebook等のSNSを選挙に利用する事を嫌う背景には、法律改定を面倒くさがる選管と議員の“利害一致”であって、現状に則さない方がラクだから…という理屈がある。そして、ネットによる情報収集は、マスメディア…特に新聞社にとって、そのスピードと情報量が圧倒的過ぎて対処できない。だから、どうしても伝えなければいけない内容までも“カット”して、その上で、なるだけ自分達の“言い分”を紛れ込まそうとする訳である。こうなると、世間はマスコミに不審を抱いて当然である。
放送局もまた然りで、JASRACに絡む問題でも、実はその多くは放送局が持っている著作隣接権と本来の著作権をごちゃ混ぜにして、しかも利用制限を加えてまで自分トコの“利益”を上げようとしてる訳である。本業がイマイチだからって、そういう利権を振りかざすから、逆にネットに過去の番組をアップする視聴者が増えるのであって、放送局自身が、有償でもいいから“アーカイブサイト”を作って過去の番組をネットに流していたら、もっと視聴者を獲得できたのにそれをサボった訳だから、視聴率が下がって当然です。事実、SONYレーベルとiTSで日本の音楽市場に関する変な争いがあった訳だが、結局SONYの首が絞まるだけで、規制を掛ければ掛けるほど違法アップ・ダウンロードの抑制に繋がらなかったのは、周知の通り。そんなに利権が欲しけりゃくれてやるが、それ故に誰も利用しなくなる…という憂き目に遭っても、消費者からすれば“知らん”訳である。ここが重要。
話が脱線するついでに言っておくが、部落差別や在日差別(いわゆる嫌韓・反中)も、当事者自身の努力を無視したり、また、批判を受ける様な行為をやめない限り続くのであって、一部の宗教団体に対する嫌がらせにしたって、根本的な部分は、過去の因縁話にまで遡る事になる。そこんトコを理解し、自らの姿勢を改めない限りは、本当の“改革”なんぞ無理である。そう、言った以上は自らの襟を正し、それににあった行動をやってこそであって、それを認めないなら最初から相手にしない事である。逆に、そういう人達を相手にする以上は、自分自身も相手から批判を受けても、それを受け止められるだけの度量が試される事を覚悟しなくてはならない。それを面倒くさいと嫌った時点で、それは“敗北”となる。どんなに傷付こうが、どんなに不利益を被ろうが、それを真正面から受け止め、改善しようと努力してこそ、相手との信頼関係を勝ち取る事になる。それを無碍にした時点で、最初から相手をバカにして見下してるだけであり、“絶対無理だろう”と思う事をやってのけると、それ故に僻むのである。
つまり、マスメディア自身が自らの襟を正し、次世代の者…つまり子供達に対して“嘘を付かない”と約束できるなら、そこから信頼回復の糸口も見えてくるが、それを拒んでいる以上、いずれネットに馴れた多くの人々から見捨てられる事になる。特に放送局は、ネットに変な規制を掛ける事をやめるべきである。自分達の番組をもっと聞いて、見てもらいたい…そう思うのであれば、なおさらな話。そして、著作隣接権を盾にするのであれば、それ故に経営が逼迫してる事に気付け。今の利権を保持したままでは、いずれそれが自分の首を絞める事になる。権利とは、時として必要以上の義務が生じるクセモノであって、それを放棄する事によって、本当の自由を得る事もできる。権限の放棄は、何も悪い事ばかりじゃなく、時として自分自身の行動範囲を広げるきっかけにもなる。その為の勇気が今、試されている…つまらない意地を張れば張る程、却って不利益を被るのは、自分自身だと悟れない様では、この先、生き残れないとオイラは思う。