迷馬の隠れ家 はてな本館

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人の振舞にて候けるぞ…昨今の対立の元凶とは。

最近のニュースで、“マナーレス”な行動が目立つ事…コレによって、一番傷付くのは、事件とは関係無い子供達なのに、それが“わからない”というのだから、困ったものである。もっと言えば、今の在日韓国・朝鮮人が差別される“一番の要因”が、日本の法律によって保護されている事(在留外国人に対する保護)をイイ事に、傍若無人をはたらく一部の連中の態度にある、“歪んだ愛国心”に他ならないのに、どうしてそこに気付かないのであろうか?従軍慰安婦や強制連行にしてもそうだが、当事者であるなら、まずその事に付いて訴える事はしない…なぜなら、それで生活保障の権利を得たとしても、それ故の難癖を付けられる事がわかっているからであり、もし、本気で訴えて利権を得ても、それ故に、今度は子孫が横暴な態度を取って、無関係な人にまで迷惑を掛けるからである。そう…因縁話をするなら、その当事者以外は首を突っ込む話ではないし、それを理由に批判する事程、一番破廉恥で無礼な行為はない。

念のために言っておくが、一般庶民だからこその“暴言”に対して、イチイチ目くじら立てて怒る必要はない。それに、どんな酷い仕打ちを受けても、それを訴える必要もない。なぜなら、自分の“正義”に従って行動した訳であって、それをどう評価しようが、本人からすれば“無視”できる事だからだ。しかし、あくまでそれは“個人レベル”の話であり、何をもって“批判”されているかを知らない様では、後々、いろんな人から恨まれる事になる。特に親族や知人にまで影響が及ぶ場合、それ故に他人の人生を狂わせた罪を一生、背負い続けなければならなくなる…そう、日本政府が韓国や中国に“及び腰”になるのは、その過去の清算を今も続けている事であり、それに甘えている以上、中・韓両国は“反日政策”を利用して、国民からの自分達の政治批判を躱(かわ)して来た訳である。だけど、そろそろ気付かないといけない局面に来てる…自らの態度が、かつての大日本帝国以上に酷い事を、世界中でやりまくっている事に、である。
仮に、そうじゃなくても、歴史というのは残酷なまでに、“過去”の出来事を繰り返す“因”を提示して、未来に対して警告を発している。福島原発の事故も、チェルノブイリの事故を“教訓”にし、対策を施していたならともかく、発電方法の違いや立地条件を理由に見直さなかった事が、大津波による被害を更に拡大させた…と言っていいし、その“教訓”があったからこそ、福島県産の農作物や魚介類の摂取制限をもって、体内被曝のリスクを大幅に減らせたともいえる訳である。何事にも、必ず何らかの“前例”があり、それがどこでリンクしてるかは、余程でない限りわからない。しかし、歴史を学ぶ者にとって、そこんトコの“想像力”や“洞察力”は長けている…いや、それを活用できてこそ、初めて“歴史を学ぶ”と言えるであろう。つまり、本気で“歴史認識”を求めるのであれば、自国の歴史だけに執着してはいけない。もっと言えば、過去の因縁をもって相手を侮辱してはいけない…という事。言い方を変えれば、いつまでも戦争の事をクチにしている様では、いずれ“同じ過ち”を、自らが望まざるとも繰り返す事になる。
同じ事は、実は昨今の国際化における企業の態度にも見える。いわゆる“タックスヘブン”をやっている企業は、最初はともかく、いずれはユダヤ人や華僑と“同じ運命”を辿る事になる。どんな組織も人が支えているのであって、その基盤を、単なる利益追求に振り回されて疎かにすれば、最後は世界中の人達から、見放される事になる。なぜなら、貧困層が増えれば、その分だけ、商品が売れなくなるどころか、富裕層の人も安易にお金を使わない様になれば、どんなに品質のいい製品があったとしても、誰も見向きもしなくなる…って事。ユダヤ人がエルサレムから追放されたのも、イエス・キリストムハンマドを“救世主”として認めなかった事、そして彼等に対して迫害を行った事が、後々の“悲劇”に繋がるのであり、その“同じ過ち”のひとつに、アドルフ=ヒトラーの“芸術家としての才能”を批判した事も含まれる。もちろん、ヒトラーのやった行為(欧州中のユダヤ人に対する大量虐殺)は許されるモノではないが、その“引き金”を引いたのは、しがないユダヤ人教師の一言だという点に気付けば、その“罪”の深さが如何程だったのかを知る事ができる。
つまり、たった一人の“行動”が、後々において世界中を揺るがす“大惨事”へと繋がる…という認識を、誰しもが自覚していないといけないという事になる。それは、今後の憲法改正に伴う国民投票に関する事にも繋がるし、いわゆる“在日差別”の抑制にも繋がる。そう、崇峻天皇御書の一説にある“不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ”とは、自分はともかく、将来を担う者達を守る為にも、自分自身が模範となって、世間に、あるいは相手に対して礼節をもって尽くす事を意味する。コレができない人程、自分の“正義”に酔いしれて、いつの間にか“不届き者”になっている事に気付かない。当然だが、相手もまた、それ相応の礼節をもって行動する事が要求される事になる。つまり、どんなモノであっても、自分自身がどう振る舞うかによって、その評価は自分だけでなく、自分に関わる者達、更には故郷や世界中を変革させるきっかけになる。そう、いわゆる“バタフライエフェクト”と同じで、行動そのものは一見、何の意味も成さない様に見えてても、実は他者に対して何らかの影響を及ぼしているのである。
よって、自分自身の行動が、ひいては自分と繋がる森羅万象に多大な影響を及ぼす事を自覚し、弁える事ができない様では、やがて自分に影響を受けた様々な分野の人々にまで“迷惑”を掛ける事になる…という事。だから、今の段階で橋下大阪市長を批判するマスコミや政治家は、それが原因でますます日本の有権者が選挙に行かなくなる事に気付かなければならないし、海外メディアも“女性の戯れ言”を鵜呑みにしてはいけない。そんな“つまらん原因”で、世界規模の戦争が起きれば、誰も止められなくなるし、すべての生物が今度こそ死滅するかもしれない…