迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

行き過ぎた主張は、テロと同意です。

石破幹事長の発言をめぐって、多くの人がギャーギャー騒いでるが、本質を言われて騒いでるのであれば、まさに、慎むべきである。そう、何度も言ってるが特定秘密保護法を“悪法”と罵るのであれば、それ故に“テロリスト”とバカにされて当然。何度も言うが、官僚や政治が信用ならんというのであれば、とっとと日本という国を“捨てる”べきであって、ここに座り込む必要はない。もっと言えば、今の政治に文句を垂れる人程、実は選挙に行ってないバカである…とオイラが断言させてもらう。もちろん、法律(公選法)に基づいて、一時的に公民権が停止されているとか、長期療養中で、戸籍謄本上の選挙区の選挙に行けないとか、海外にいて帰国できないって理由がある分には、ここでは別件なんで除外するが、五体満足で、公民権(選挙権)があって、しかも投票に行くヒマがあるのに、そういう事をやってないモンが、政治に文句を言ってはいけない…なぜなら、民主主義における“責任者”は国民全員であって、その代表を選ぶのが選挙である。その選挙に参加せずに第三者でいようとする事自体、本来なら“国家反逆罪”と同じ罪を犯してる事になる。その自覚がないから、ああいう発言が出るというモノである。

もちろん、抗議活動は立派な政治活動の一環だし、そこんトコを規制するつもりはない。が、まず、自分がやるべき“責任”を取らずして、マスコミの断片的な情報に惑わされ、自分がやるべき職務を放棄して騒いでる様では、その行為が“テロ”と言われて当たり前ではなかろうか?自分がやるべき職務を果たして、それでも不当な仕打ちを受けたのであれば、ナンボでも騒げば良い…が、職務を放棄して、しかも普段からエエ加減な態度で接してるのであれば、その権利は最初から無いのと同じ。何度も言うが、権利を主張していいのは、やるべき職務をキチンと果たし、規則・ルールを守った上で不当な行為を受けた時のみである。
ぶっちゃけだが、法律を今まで見直さず、グズグズ言ってるバカが、今頃騒いだトコで遅い。創価学会の選挙活動を批判してる人で、実際に選挙に行って、自分の意志で候補者を選んだ人はどれだけいるか?逆に、選挙に毎回参加してる人程、今の投票率の低さを危惧してる人が多く、また、“一票の格差”に捉われている弁護士も、問題の“本質”を履違えてる以上、裁判の結果を政府や国会が無視するのを止める事はできない。もっと言えば、オウム真理教みたいに“武力行使”に持ち込みたいならやれば良い…その代償として“何”を失うか、その覚悟はおありだろうか?彼等には少なからず、それ故の確信犯だからこそやってのけただけであって、そう根性がない連中が、何を叫んだとしても、一般大衆から無視されるだけで、何の意味もない。
敢えて言っとくが、他のブロガーが平和ボケしたネタしかやらないのは、彼等にとって、政治や国際情勢なんて“蚊帳の外”であって、直接の関係がないからこそ、ネタとして記事にする事はない。もっと言えば、騒動が一種の“エンタメ化”した時点で、それは国民生活において“どうでもいい話”である。むしろ、レイブロが増えた背景にも、情報に惑わされ過ぎて臆病になった人が多いからこそであり、また、重篤な犯罪をも“ゲーム”と称して頻発するのも、結局は自分だけが感じる事を許された感情に対する責任を放棄して逃げるからである。無防備な人を襲って、その倒れた(傷付いた)人の数だけ“英雄”になれるなら、その“正義”は単なる“弱者いじめ”であって、臆病者以外の何モノでもない。本物の勇者とは、自分は傷付いても、守りたいモノを守る為に命を賭す事ができる者である。言い方を変えれば、自分よりも強い相手に、何度でも立ち向かい続ける者こそが勇者であって、他者から“悪”と罵られても、貫き通すべき生き様を示し続ける事こそ、その願いや思いは後世に引き継がれて行く。法華経において、叶わぬ願いは何ひとつないと言えど、その方向性が間違ってる以上、必ず潰える事になる。それは、どんな呪術や魔法でも同じ。そこんトコを踏まえて、それでもデモを続けるのであれば、そんだけの人生を棒に振ったとしても、後悔しない事である。学生運動をやり続けるならそれでも良いが、それによって人生が狂わされたとしても、それを訴えるのは筋違いだ。自分が選んだ生き様を、後々で後悔するぐらいなら、やらない方が良い…ただそれだけ。