迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

度量が小さいと、自分の価値もダダ下がりw

フォロワーさんとのやり取りの中で、人間付き合いがどうも…という方を散見するが、少なからずとも、様々な要因がそこにある以上、オイラのクチから明確な答えをいう事はできんw が、共通して言える事は、自分の価値は、自分が構築していく部分と、他人…特に自分を好意に思ってくれる相手や、批判家の評価を通じて修正していく事で、真の意味を持つ。言い換えれば、自分自身がどんなに“立派だ”と思っていても、周囲がそう思っていない様では、それは慢心であり、自分自身の価値を下げる事を意味し、逆に、周囲からどんなに誉めたたえられても、“自分は未熟”と諭せる人は、さらなる精進を重ね、並大抵の人にはかなわない領域へと成長させる。そして、それは相手に対しても言えた事で、単なる悪口は誰でも…しかも実体験もないのに他者からの評価のみでバンバン言えるが、成功や実績を褒める事、これまでの努力を認める事は非常に難しい。なぜなら、“自分中心”で物事を見る事しかできないからであり、それが普通だからです。
では、どうすれば、自分の価値観をさらに高みへと押し上げる事ができるのか?その答えは、自分自身の振る舞い一つにかかってると言っていいでしょう。つまり、経験がなくても想像力を働かせて、相手の悩みや苦しみに寄り添う事と、それに対する答えとして、言葉ではなく行動で示す事です。
オイラの経験上から言って、基本、相手を見下す人ほど自分の世界観にどっぷりですw つまり、周囲が見えないだけでなく、その慢心から、自分以外の存在をクズ呼ばわりして自惚れるのです。だけど現実を言えば、自分が“快適”な状態になるために、どれだけの“犠牲”がどこで生じてるか、こういう部分の思考が足りないからこそ、自分の“思い通り”になっているのに不満を言うのです。そう、原発再稼働に反対してる人たちが、公共の場にあるコンセントからタコ足配線で盗電してる様に、そして、沖縄の普天間基地移設でギャーギャー騒いでる連中が、周辺住民の身を守るために警護してる警察官を殴る様に、シーシェパードが鯨のせいで漁に出られない太地町の漁師をいじめる様に、自分の“理想”ばかり主張して、他の人の生活を阻害すれば、自ずとその“正義”は穢れます…だって、地元住民や一般の電気利用者にとって、その事が“原因”で困窮してるのに、それがわからないのですからねw しかもこういう事を繰り返してる人も、地元住民であり、利用者であるから、自分たちの“矛盾”に対し、それを“他人のせい”にして、問題を拗らせている事に気付かないから片腹痛いw 本当に捕鯨が残酷であるなら、また、本気で軍隊(国防)がいらないのであれば、それをしなくて済む様な事業を代案として提示し、そして実行に移せばいいだけなのに、“資金がない”とか“とにかく出て行け”とか言ってる時点でお察しです。何がしたいんでしょうかね。
何度かここでも記事にしてるけど、自衛隊の本分は、“有事の備え”であり、それは何も戦争だけではありません。口永良部島噴火による救援活動のための準備はやってた訳であり、同じ事は海上保安庁の巡視船も、連絡を受けて急行してた事を考えれば、当然の話です。現在議論されているホルムズ海峡の機雷除去に関しても、一見すれば日本とは関係ない様な話でも、石油や天然ガスを中東諸国から輸入してる以上、そこを通る日本の石油会社所有の輸送船がある以上、それによる被害を防ぐために自衛隊を派遣する事が“憲法違反な派兵”だとすれば、機雷によって輸送船が被害を受ける度に石油価格がさらに高騰するのは目に見える話。それによって、火力発電の燃料となるガスや重油の価格が上がれば、当然電気代に上乗せされるのも想像がつく…ここまで考えが至らずに、単に“自衛隊違憲”とか、“原発は即座に廃炉にすべき”という言葉を発してはいけない。理想はあくまで理想でしかなく、また、軍備とは、国際社会上における交渉事での“ハッタリ”であり、それを実際に用いて隣国を攻めれば、その時点で本来であれば、非難轟々は当たり前なのです。また、原発に関して言えば、事故による放射性物質の拡散は避けなければならない反面、現時点で自然再生エネルギーだけでは賄いきれない発電量がある以上、それを活用しない方が、よっぽど“もったいない”話である。むしろ、化石燃料の使用を控えたいのであれば、積極的に利用すべき分野でもあるのが原発である。ここを忘れてはならない。(まして、1960年代の北半球での放射性物質の飛散量は、実は原発事故以降の福島市内よりも酷かったというデータがあったりするw)
自分がバカにされるのは、自分もまた、相手をバカにしてたり、相手の素養も知らずに罵ってる可能性があるからです。それを一切排しても、自分が、そして相手が、その心を互いを疑っている以上、これは永遠に続きます。そこんトコの闇を含めた全てを受け入れ、包み込む度量がない人は、ゆえに自分の“器の小ささ”に気付かず、そして相手を自分よりも“クズな存在”と見なそうとして、無用な努力をやるのです。自分を変えたくないからねw でも、そういう“ちっぽけな自分”に固執してまで相手を罵るのも、一つの才能です。但し、それをよしとするかどうかは自分次第です。それによって、自分が他人から罵られ、嫌な気分にならないのであれば、大した度量の人です。(もちろん、いろんな意味でw)だけど、よく考えて周りを見渡す事ができたなら、眼に映る全てが“自分”であったなら、それを素直に受け止められるか、それとも否定するかで、自分自身の価値は決まってきます。大人な考えである人ほど、正邪だけでは片付かない理不尽な真実の前で、悩み苦しみます。しかし、果敢に飛び込める人は、“現時点で重要なことは何か?”という概念のみで行動を起こせるため、最悪の結果を回避することができるのです。後先を考えずに行動するのは愚かでも、結果として次世代に残せる様な功績に繋がっていたなら、規則違反であろうが失敗していようが関係ないのです。まして、先人たちは後世を予期して都市開発を行っていた事を踏まえれば、むしろそれを無視してバカな事をやってるのは、我々の方ではないでしょうか?そして、戦争反対を唱えるのであれば、政府への抗議デモや自衛隊在日米軍の活動阻止をやるよりも、草の根の交流…被災地から逃げてきた難民と一緒に生活してみたり、自分のトコへ招き入れて技能訓練を受けさせたりといった、一番簡単な事からやるのがスジです。それをせずに文句垂れる人は、戦争を美化し、他人の不幸で喜ぶほど歪んだ愚か者です。