迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“戦争反対”と叫ぶほど、戦争は近づく矛盾な話。

たった一言です…自分の国家を、政府高官を、心底信じてやれる事ほど、不幸な民衆はいない。先の戦争も、民衆が無知であったがばかりに、そして自分の不幸を他人のせいにしすぎたが為に、その“負の感情”が戦争へと駆り立て、そしてみんな不幸になった…ついこないだ、オイラの近所らへんを拡声器つけたクルマで“戦争反対”を声高に叫ぶ市民団体を見かけたが、どこまで情報弱者ですか?“自衛官の命が危ないから、海外派遣反対”とか、“憲法9条は、何があっても厳守すべき”だとか…それって、ひっくり返った事を言えば、この国の事も、そこに住む民の尊厳もどうでもいいって言ってる様なモノじゃないですか?マジで冗談吹かすなよw
本気で戦争を止めたければ、現状に対して、一切の文句を言ってはいけないし、疑念も持っちゃいけない…多くの宗教でも、本当に“幸せ”を願いたいのであれば、自分に課せられた使命に対して、一歩たりとも退いてはいけないと説いているが、その“本意”を履き違えてると、どんな“正法”も“邪教”と化す。なぜなら、純粋に“幸福”というモノの本質は、自分という存在が、“常にそこにいる”という確信を得る事であり、その為の価値観をドコに求めるかによって、それぞれが願う“幸福”へと繋がるのであり、その根幹を見失ってギャーギャー騒げば、自分の願いが叶っていたとしても、それを“不幸”だと感じてしまい、いつしか本願に対して背を向け、否定する様になる。言い方を変えれば、自分の愛しい人を殺した人や国を憎み続ければ、いつしか自分も“殺人鬼”へと変貌する。どんなに反省し社会復帰の為の努力しても、それを認めないのであれば、故に“同じ過ち”を、今度は自分がやってしまう事になる。これ、オイラが一番身に滲みてわかる事であり、自分の事をバカにする人ほど、自分の事を仲間はずれにして嘲笑うけど、それは自分の価値観と、相手の価値観が違うだけで、バカにしてる“理由”なんてのは、本当に些細な事である。本物の平和主義者はそんな“些細な事”に対して目くじら立てるほど感情的にはならない…なってるヒマすらない程、自分の“使命”に勤しむ事に精一杯ですから。
じゃあ、国会議事堂や自衛隊基地などの前でデモ行進してる人や座り込んで場所を占拠してる人らは何者か?オイラから見れば、ハタ迷惑な“暇人”ですw そんな事してる時間あるなら、オイラん家の周辺にある耕作放棄地の再開墾、手伝ってくれない?言っちゃなんだけど、農業は現金収入少ないし、収穫がないとメシも食えない…だけど、少なからずとも生産性のないデモ行進やってるよりも、自然環境保護になるし、最低限度の食糧も手に入る。工夫次第ではエネルギー問題にしろ、TPPで二進も三進もグッチャグチャになろうとも、生きていく為の知恵や技能を身につけることによって、太刀打ちできる。近年注目されているバイオ燃料に関して言えば、堆肥を作る時の副産物にメタンガスと熱があることに着目すれば、それを活用して水を温めれば、給湯に使えるだけでなく、熱交換による冷暖房や発電に回す事もできる。単に太陽光のみ注目されがちだが、本気で自然再生エネルギーを活用したいなら、農家に協力を依頼してこそ、二つの問題を一気に解決させる事ができると、オイラは睨んでいる。ただ…それを実現させようと思えば、それ故の“犠牲”をどっかで払わないといけない。つまり、実験に参加し、数え切れない失敗を引き受ける度胸がなければ、成功へ導く為のデータは集まらないし、そういった積み重ねこそが、最新鋭機器の開発には不可欠であり、それを“今すぐ作れ”という方がバカでしかない。医学の世界でも、多くの治験で犠牲になった患者のデータがあってこそ、安全、且つ、確実に生存率を向上させる、あるいは、完治可能にする治療方法が見つかるのであって、そういった事も知らずに医療事故に対していっちょ噛みな意見を発してはならない…専門家でない以上はね。
同じ事で、自衛官が“犠牲”になっても、国民全員の生命と尊厳を守れるのであれば、これほど“安いモノ”はありません。仮に、自衛官が無事であっても、故郷が他国に滅されれば、任務を終えた自衛官は、ドコに帰るのですか?先の大戦において、多くの学生や働き盛りの青年が、軍部の無茶振りによって非業の死を遂げたと、史実には記載されているけど、そこの中には、自分から志願して、しかも自分の家族や親友達が、故郷で待っているという確信の下で、更には、自分が死んでも“大切なモノ”が守れたならと願い、命を賭して戦地を駆けた人達もいる事を失念してはいけない。彼らを弄んだのは、むしろ戦地から遠く離れ、命の危険を感じなかった庶民であり、そして彼等の命の多くは、戦時下の法律を厳守したがために、消失したのである。(結構無茶苦茶な法律規定があって、焼夷弾が降っている中でも、火災が起きれば消化活動しろ…なんてのがあったらしく、このせいで、大阪大空襲などで犠牲者が増えたとも言われている。)そう…この言葉をもって“憲法9条を守れ”と言ってる連中に対して“いい加減にしろ”と言いたい訳である。自分達のその態度は、戦時下の軍部以上に国民をバカにしてるのと一緒だって事だ。これが、今回のタイトルの“本質”であり、正直、真面目に生きてる人から見れば、“ふざけんな、このクソガキが!!”という感情になるのです。でも、それを敢えて言わないのは、言ってるヒマがない程、自分の手元の仕事に忙しいのです。もっと言えば、そういう“ふざけた連中”のせいで、こっちの仕事量が増えているのです。
本当の“大人”ってのは、自分の我儘を一切口にせず、どこまでも“人に尽くす”ことに徹します。女性…特に母が強いのは、究極の“裏方人間”に徹した存在だからこそです。そんな“苦労人”に対して唾吐くのは誰ですか?そして、自分より弱い立場の存在を盾にして、ギャーギャー騒いで迷惑かけてるのは誰ですか?自分の命が惜しいあまりに、他人の命を侮蔑してると、それが原因で、自分“だけ”が取り残されて、途方にくれるハメになる…平和ボケしてるからこそ、デモや抗議活動するのはいいが、それでは誰も守れないどころか、全てを失うことになると気付かなければ、同じ過ちを繰り返す事になるのです。歴史とは、本当に、残酷なモノですなぁ…