迷馬の隠れ家 はてな本館

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何故福井県に原発が集中してるのか?な話

政界スキャンダルに発展する勢いで発覚した、高浜原発絡みの関電汚職…そもそも、何で福井県の嶺南地方に関電の原発が集中してるのか?それは地形や気候条件、更には京阪神に程近い立地条件といった、表向きの理屈がいくつも存在する訳だが、それは裏を返せば、この地域に主だった産業が、第一次産業農林水産業以外が乏しかったという、世知辛い話が根本にあり、また、工場誘致を行うにも、交通インフラの整備が遅れてて、物流面でのハンデが大きすぎるという事情が介在する訳である…つまり、公的企業であり、大都市圏のエネルギー事情を下支えしてる企業である関電の施設を誘致するのは、若年層の雇用促進と、それに伴うインフラ整備の資金稼ぎにうってつけだった事情があっての話である。

 

 

 

 

 

 

が、なんで高浜町の元助役が、所謂“原発マネー”を関電上層部に事実上のキックバックを繰り返したか?その背景にあるのは、要は“手柄の欲しさ”ってのが、関電上層部と元助役、更には福井県選出の国会議員にあって、更に、国や県としても“弱味”があっての話であると推察すれば、自ずと答えは出てくる…つまり、公共事業の発注を我田引水したい元助役(正確にはその幕下の建設会社)と、遅々として進まないインフラ整備をどうにかしたい自治体と、如何にかして国税の余計な歳出を抑えたい国の利害が一致しての話が裏にあって、その中心に元助役がいたという図式で踏まえると、大体の話が読めてくる訳である。これ…実は多くの地方自治体が抱える“闇”の部分であり、もっと言えば、元々電気の配給は民間企業がやってた事を、国がエリア別で統括し、管理運営を一括化したことから、色々と“不具合”が出てきてる訳である。

 

脱線話をここでやっておくが、そもそも、電力供給事業は、戦後しばらくまでは、鉄道会社や重工業地帯の事業所が請負ってた事業であり、故に、京阪神はもとより、路線網がある沿線地域に小売りもやってた訳である…その証拠に、今でも阪急の文庫には、当時の事業広告が残っていて、沿線住民はもとより、町工場での需要に応えようと、発電所の増設(主に水力)とかの計画があった程である。しかし…それ故の弊害として、沿線から外れた地域との格差が酷くなった訳で、これでは余計に都心(私鉄沿線)に人口が集中すると考えた国は、その是正策としてエリア別の公共事業者として、それぞれの地域の電気事業者をエリア毎に統合したのが現在の電力会社であり、21世紀になって以降、電力の自由化が解禁されるまで、事実上の“国営企業”として発電と供給を一括して行なってきたのが、東電や関電といった電気事業者って訳である。だから株主も地元自治体や国だったりする訳であり、電力会社の株価が安定してるのも、そういう一面があっての話である。裏を返せば、電力事業でスキャンダルは、場合によっては当該地域の自治体の財政そのものがぶっ壊れる事態でもあり、国の損益も増税の一因になりかねない事態でもある訳だ。つまり、東電福島第一原発の事故によって大損こいたのは、福島県だけでなく、首都圏の各自治体および国自身だって話にもなる。(その要因になってるのは、この場合は津波の被害後に冷却水の循環を復帰させようと躍起になってた現場を止めさせた、能無し指揮官だって事は、改めて強調しておく)

 

で、何で福井県原発を嶺南地方に集約する格好で受け入れたかを踏まえると、一番の要因は“富山の成功例”である…というと語弊がありまくる言い方にはなるが、要は関電の“大型事業計画”によってもたらされる事業資金と、就労者が現地(正確には宇奈月温泉近隣)で賃金を消費する事で生じる小売業者などの法人税や各種の間接税(この場合、消費税がなかったから、酒税やタバコ税、宿泊に係る諸税が主だった)の収益が半端なかった訳であり、事実上は国から富山県や長野県にダイレクトに資金が流れた訳である…そう、黒部ダムの建設である。つまり、この“旨味”は、大都市圏から離れた地域にとっては、今後の自治体運営をも左右する話であり、しかも事業者が公共事業者(=国)であれば、巨万の富が、その事業のために集中して使われるから、非常に“有難い話”な訳である。

 

これは何も、原発のみならず、整備新幹線事業でも同じ話で、北陸新幹線整備事業で滋賀県米原経由ルートにこだわる理由にしろ、九州新幹線長崎ルートにおいて佐賀県がイチャモンつけてる理由にしろ、実は“国家計画”という特性故の話だからこそである。(事業主自体、既に民営化したJR各社であって、国自身はノータッチな話になってるのに…である。ま、建設許可出すのは国交省ですが…w)

 

方向音痴になる前に話を戻すと、そもそも原発が“必要”となった一番の要因は、阪神間での大気汚染…高度成長期に電力消費が激しくなり、大阪湾一帯にも大型の火力発電所を構えたは良いが、その代償として、待機中のNOx濃度が高くなり、主に小児の気管支喘息が一気に増えた訳である。特に有名な四日市喘息も同じ理屈で、四日市市内の重工業(主に石油化学)が盛んで景気が良くても、土地柄大気が滞留しやすかったのが仇となって、化学物質系気管支喘息患者の増加が問題となった訳で、経済発展とともに、広域公害として問題になった訳である。そこで、大気にNOxを撒き散らさない、ダイオキシンや粉塵を出さない発電方法として、水力と原発が注目されたんだが、大型の水力発電所を設けるには、急峻な山岳地帯にダムを作る必要があり、しかも、必要な貯水量を維持するには、予定地はもとよりダム下流の集落にも(万一の事故での被害を最小限にする為に)立ち退きを要求せざる得ない訳で、当然、河川の上流部が(利水と治水の為といえど)堰き止められることによる、流域住民の生活(特に農業)への影響が大きいとして、市民団体から反発が出た訳である。故に、小規模でも高出力で半永久的に使える原発の方が、優位にな格好になってしまった訳である…当然、放射性物質の取扱い次第でエラい事になるのは、広島と長崎の原爆と第五福竜丸事故(ビキニ環礁付近で操業してたマグロ漁船が水爆実験に巻き込まれて被曝した事故)で世間から知られてはいたが、電力不足では産業そのものがどうにもならない関西圏では、背に腹は変えられない状況だった…だから、国からの研究機関との共同で関電は原発の運用と設置を決めた訳であり、しかも京阪神近郊から大反発があって、福井県に打診したら快諾した…という経緯がある。

 

 

 

 

 

 

つまり、この経緯からの“腐敗”って訳である。大阪湾に福島第一原発事故の処理済み汚染水放流を(条件付きで)受け入れるという松井一男大阪市長の発言の裏には、都市部の人間が弱小自治体に押し付けた厄介事に対して、全部責任を負うべきだという意図もある訳で、当然だがそれは、国民全体が考えないといけない問題である…綺麗事のみで片付くのであれば最善かも知れないが、結局はそういう“汚れ役”を他人に押し付けて逃げる行為でしかない。そして、腐敗の原因が、国の政策の多くが“国民の総意”の名の下で行われている事業そのものであり、仮に民主党政権下のように全廃すれば、却って災害発生のリスクが高まって、憲法が保証する“生存権と財産の保護”が出来なくなる…正すべき事はやるべきであっても、だからと言ってそこを利用して政権批判は別バナであり、当然、現政権に対する退陣要求は的外れである。ま、しばらく関電が東電以上に叩かれるのは仕方ない話だが、東電と違って実態が伴う被害は一つもない時点で、本当に叩かれるべきは、旧態依然で取引やってる、自治体と企業の金銭感覚ではないかと…