迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

青年と壮年の狭間で…。

今日は真面目に哲学です。てか、最近のニュースを見て感じた事だが、なにげに嫌われてますな、“ライブドア”の堀江社長プロ野球がダメならと、今度はしがないラジオの株主騒動でフジTVとモメてるとは…。だが、オイラにはこの勝負は既に、ホリエモンの“勝ち”と見てる。なぜって、だって、こんなに問題をやらかして自分の名前を売ってる時点で、世間的に彼の名前と会社を知るきっかけはできた訳だし、むしろマスコミが無条件に騒ぎ過ぎて、彼の“手中に踊らされている”事に気付いていない点で、この勝負は“あった”と感じたからだ。これとよく似た事例は、過去の歴史上、たくさんあるんだよなぁ。

一番解りやすい例といえるかどうかわかんないが、日蓮大聖人(一応オイラも学会員なので、この名称で書く。)の場合、数々の迫害(竜の口で首斬られかけるわ、松葉ヶ谷の草庵を襲われるわ、佐渡に流されるわ…)を受ける度に、逆に名前を知られる様になり、最終的には信徒の数が増えていったのは既成事実であるし、現在の創価学会も、内外からの批判が結果的にその名前を広めて、世界中の学会員数を増加させてる遠因となっている。つまり、天才的頭脳の持ち主は、迫害の数だけ著名になるのであって、何も知らない凡人は、その天才の掌の上で暴れてるだけである事を知らないのである。
よくある話です、若輩者といえど知性ある人間と見抜けない手練の者は、のちに己がバカにした人間の才能の前に、自分がひれ伏さなければならない屈辱を味わうのは。
もちろん、若輩者だからこそ、先駆者の指導を受けて成長する訳だが、その先駆者=指導者がその事(自分が先輩である事等)だけで後輩を嘲笑ったり見下した時、当然だが後継者はエエ加減な奴ばっかりになる。良き指導者とは、自らもまた“修行中”という模範を見せるし、決して他人を見下さない。つまり、常時最前線にいて、自らの意志では決して逃げない(保守的じゃない)姿勢を示す。(以前にも書いたが、“襟を糺してモノは言え”は、人生の先輩だからこそ示すべき態度であり、それをマネして子供は成長するモノです。)
逆を言えば、みっともないのは明々白々。危害を加えるものは、己の保身で既に手詰り状態だという事です。だから、組織内部にいる人間は、外部からの謂れ無き事実に真っ向から立ち、そして自分から結論を出して行くべきなんです。勝負事の鉄則は、自分の段取りに気を取られず、相手の行動を的確に読む事。こんな単純な事(いや、難しいのは確かだが…)を忘れている様じゃ、競馬中継をはじめ、スポーツ中継を行う資格無しですよ。