迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

言葉は難しい…。

オイラのとこには“霊的お友達”以外にも、悩み多き人生の迷子もよく訪れる。今日もそんな人が来て、オイラにグチってた。その話で、“どうしてアタイだけに…”とか、“なんでアタイに…”とか。ま、オイラも昔はイジメられっ子だったから解らなくはないんだが…。

大概こんな事言ってる人に限って、自己中心的な発言が目立ち、話を聞いてる相手の事を理解しない。しかし、それはお互い様だとオイラは思っている。そりゃオイラだって、ジコチューはジコチューだから、そこはおあいこ。でも、大事なのはその心の痛みは、オイラやグチった人間だけのモンじゃない事だ。ハッキリ言って、そいつに暴言を吐いた野郎もきっと自分一人では解消できないモヤモヤがあって、それを分かってほしいから八つ当たりしたんだろうと思う。だからキチンと受け止めてやんないと、ダメなんだよな。
でもさ、こんな重たい気持ち抱え込んだ人に掛けてやる言葉って、選ぶのが難しいよね。オイラの場合はついつい、キツイ言葉になってしまう。勿論それを期待してオイラんとこに来る人もいるんだけど、中には優しい言葉を期待してオイラの言葉を聞いて、期待を裏切られた様な表情をする人もいる。そんな表情されると、こっちとしてもどうして良いのか分かんなくなる。
だけどオイラは思う、悩める人が本当に欲しい言葉なんて、オイラが簡単に言うべきじゃないって。いろんな意味を含めた言葉こそ、その人に対して最高の“激励”だと。
結婚を決めた同級生に対して、オイラは、“今目の前にある幸福から、どんな事があっても逃げるなよ”と、メッセージを書いた事がある。普通の新婚さんならこんな言葉を書かれたら、
“ヲイ!!”
て、ツッコむだろうけど、そいつは、一番喜んだ。なぜなら、これからの夫婦生活に(将来的な事も含めて)不安も抱いていたからだ。
そう、意外な言葉が時として傷付いた心(あるいは精神)に、一番効く言葉だったりする。そんな言葉を望むのなら、オイラはいくらでも話すし、愚痴ぐらいなら聞いてやる。でも、だからと言って、その言葉に甘えないでもらいたい。なんせ、口が悪いオイラだから、逆に心をズタボロに傷付けるかも知んない。それでも良かったら、今後もこのBlogで書いていく言葉を、自分なりの思いで受け止めてもらいたい。ただ、それだけで、オイラも精神的にスッキリするから。