迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

自由に対する代償

“●の錬金術師”の中で、“錬金術とはすなわち、物質の等価交換”というセリフがある。もちろんそれは、錬金術だけに限らず、人生に於いても、また然りである。“構造改革”等と言っても、今までの“ぬるま湯”構造で育った連中にとっちゃハタ迷惑な話であって、それに飽きた連中にとっては聞こえのイイ話でもある。しかし、それ故の“代償”を知る者は、お互いの言い分を聞いて、この問題そのものが双方の“甘え”であると指摘するが、そんな意見なんて聞く耳持たぬで大喧嘩ときたモンだ。一体、どうしろ?と言うんだい。

アジア各国でもそうだが、日本や他の地域の意見に振り回されていないかな?あと、“独立”を求める連中も、その先のビジョンってあるんかいな?何をするにしたって、それに似合うだけの代償が必要となるのは当たり前。“楽して儲ける”為の代償として、他人の財産や命を奪う。“夢を現実に…”と願うあまり、性犯罪や親殺しをする…。そしてその罪を問われるのは当然だし、その罪故に、犯人とは全く関係ない人々が故郷が一緒だったが為に批判されたり、生活環境が同じだった連中が“犯罪予備軍”として血祭りにあげられたり…。
でも待てよ、そんなリスク犯してまでも、そいつは“人並み”に生活したかったんだよなぁ?それって、批判する奴も一緒じゃないか?だったら、それをどうやって、アンタらは克服したんだい?オイラは聞いてみたい、犯罪抑止の為にも、戦争回避の為にも、“自分達がどうやって、自由に対する代償を払ったか”を。
仏教の教えには、“因果応報”という言葉がある。原因あるから結果があって、他人が応じたら、自分も報いる必要性がある。キリスト教でもイスラム教でも、これに類似する教え(“目には目を…”とか)がある。しかし、結局その事を忘れて、自己満足の為の横暴な振る舞いを、やり続ける訳である。いつか、自分だけでは払いきれない代償が、子孫末代まで降り掛かるとも知らずに…。
オイラもエラそうな事を書いているが、そんなオイラもその“代償”を目の前にして今、ヘコんでいる。自分の我侭を寛大に許してくれてるオカンが明日、入院する。狭心症の疑いからの検査なんだが、オイラとしたら気が気でない。これほど、“もしも…”という最悪の事態を考えなきゃいけないと言う状況が、こんなに早く訪れようとは思ってなかったからだ。長男・長女という立場は、一見自由奔放な様に見えるが、その代償として“イザ”という時に世帯主の代理を務めなければならない。だからこそ“甘え”ちゃいけないと、説教される立場でもある。そんなオイラに、明日からの生活一切の舵取りを任せたオカン。今のオイラには、正直プレッシャーの連続です…。|||||orz