迷馬の隠れ家 はてな本館

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My favorite announcer “NEXT”2

ここんとこ、しつこいぐらいに努兄(斎藤努アナ)の話を書いているモンだから、アクセス解析を見ると、その殆どが“斎藤努”か“あどりぶランド”でこのBlogにたどり着く方が多い。(以前にも書いたが…。)ま、努兄も今月からラジオでの深夜枠レギュラーが始まった事だし、この際だからもう一度努兄…否、斎藤アナの事について、きちんと書いておこうと思う。ぶっちゃけ、“My favorite announcer Vol1”の“続編”です。

前回ではTVでの活躍話が中心だったが、今回はラジオの話も。“らじおゼミナール”初回放送(4月4日)を聞いた方はご存じだろうと思うが、斎藤アナがラジオで活躍していた時期は意外に短く、MBS入社後およそ8年程度。その殆どが“MBSヤングタウン”(放送開始時は“歌え!MBSヤングタウン”)でのMCで、その他といえばスポーツの実況中継(主に野球)ぐらいだった。“おや?”と思われるかもしれないが、実はアナとしてデビューした時は、プロ野球実況アナとして期待されてた部分もあったのだ。しかし、ヤンタン(MBSヤングタウンの略称)で一躍人気者になり、そのTV版である“ヤングおーおー”で一気に全国区になると、とてもじゃないがスポーツ中継のスタッフ要員としてのシフトに組み込めなくなったのである。これ以降はもっぱら“TVバラエティー系アナ”としてしばらく活躍する様になる。
ネットチェンジ(“腸捻転解消”ともいう。かつてのMBSは、JNN系ではなくANN系だった。ちなみにABCはその逆。)以降“おはよう720”での“キャラバン隊”で世界中を駆け巡る様になってからは、報道部門でも活躍する様になるが、このあたりから“マスコミとは”とか“ジャーナリズムとは”など、アナウンサーの基本理念に関わる“哲学”を考えていた。そしてそれは、現在の仕事である大学教授としての“基盤”となっている部分でもある。
初回放送が始まる前に番組宛にメールを送ったら、その内容を読んで一言、「本当に久々なんです。」と言っていた。MBS在籍時に最後にラジオでしゃべったのが、センバツの絡みで休暇を取ってるタレントの代わりに番組を担当したのが今から3年前の話。レギュラーとなると、30年くらい前まで遡らないと…というのは本当の話です。
余談ではあるが、ここで少しだけ斎藤アナの“嫁ハン”について書いておこう。彼女もまた、MBSを代表する女性アナだった。曜日は違えども、斎藤アナと同じ様にヤンタンのMCを務めていた。しかし、この共演者というのがかなりの“クセ者”で、エロ話させれば最強を誇る人物が一人いた。それ故に放送が終わる度に、深夜のアナウンサー室で一人泣いていた。そんな折に宿直で詰めていた斎藤アナが声をかけて以来、嫌な事があったらすぐに斎藤アナの元へ飛んで行ったという。そんな縁があって、結婚する訳である。実は共演していた角アナも、見合いで既に結婚していたにも拘らず、片思いをしていたそうな。でも結局、この“淡い恋”は実る事なく消えたのは言うまでもない。