迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer (vol.5)


サラダを作ろう。今回の更新で、このBlogのネタも100回目。(よく続けたなぁ、オイラ。)
てな訳…じゃないんだが、今回は“My favorite announcer”本編第5弾。今回は悩んだ挙げ句、先週のラジオ出演(て言っても、電話でだが…)のお礼という訳ではないが、“あどりぶランド”ネタを取り扱ってる以上、紹介しないといけませんね。番組上での“最後のアナウンサー室長”を務めた“長身の紳士”、阪本時彦アナの話です。(オマケのイラストは、そんな時さんをイメージして描いた作品です。実は彼、意外とデザートやサラダを作ったりするのが好きだったりするんで…。)

生粋の江戸っ子で、生まれも浅草。その為か、普段の話し方もハキハキした感じ。そんな時さん(今さらながら説明すると、彼のニックネームです。)ではあるが、関西人にはない、ハッキリ言う口調なのに心地よい話し方は、ラジオ好きにはたまらない魅力だった。また、身長185cm(現在は、若干縮んだが…)という体格とつり眉タレ眼の、若干甘い感じの顔は、“長身の紳士”という言葉がよく似合う。努兄とは同い年で同じ大学の出身だったが、実は彼の方が先輩。(努兄は諸般の事情で一年遅れでMBS入社。)だけど、管理職時代はコンビで若手の育成と管理をやってきた。
スポーツ中継の担当になるのが嫌で、ラジオパーソナリティーの道を選び、一時は努兄と人気を競ったが、努兄がTVの方へ鞍替えしてからは、昼夜を問わずにラジオでの活躍がメインとなった。(結果的に、“あどラン”放送開始まで、TVに出る機会を逃してしまうんだが…。)そんな彼が、ある時スポーツ関連の取材を行った事がある。1978年の読売巨人軍宮崎キャンプである。この当時の監督は、“ミスタージャイアンツ”こと長嶋茂雄である。実は時さん、大のミスターのファン(てか、ジャイアンツファン)で、どうしても本人にあって取材をしたいと志願したらしく、それが実現したのが、この時の地元主催の交流会での席だった。(ここらへんの詳しい話は、あどラン本一冊目に彼自身が書いているので、一読されると良いだろう。)長嶋氏が監督就任になる度に、彼は担当していた番組内で時折、

“ ガ ン バ レ、長 嶋 ジ ャ イ

ア ン ツ !! ”

と吠え立てていた。(ちなみに努兄は、同じ東京人なのに大の虎キチ阪神が勝つと、上機嫌になる。)
以前から腰痛持ちであんまり無理できないのに、あどランの体力ネタでは、何度となく他のアナ達に振り回された事もしばしば。そんな彼が、あどランの中でヒーローになった場面がある。グァムマラソンの駅伝チーム選抜メンバーになった時である。実は、あどランでは2回、このグァムの駅伝に出走したのだが、時さんが参加したのは1回目の時。(後日詳しく取り上げる予定だが、これがきっかけで蜂谷アナがマラソンバカになったのは、ファンならよく知ってる話。)第三走者として、およそ4.2kmのコースを走破した。6人で42.195kmを走るコースで、この時の走破タイムは合計で3時間44分43秒と、けっこう早いタイムでゴールした。
番組内で本音をズケズケ言う割に、バックではみんなに気を使い、時には落ち込んだ後輩を慰めたり、相談事に乗ってみたりとマメな部分を見せたりしてた。が、自分に関する悩み等を、他人に打ち明ける様な事を、滅多にしなかった様である。定年退職した今でも、後輩達には慕われていて、実はこの春から始まった深夜のラジオ番組は、そんな後輩の一人である伊東アナ(現在はラジオ制作部に異勤したのだが)からの相談に乗って、アドバイスを送った時さんの発案だったりする。(特に努兄担当の月曜と時さん担当の火曜は、その意味合いを示している。)
現役を退いていてもなお、もう一度マイクの前で話したい…そんな切なる思いが、“ラジオの達人”という番組を作るきっかけとなった訳だが、本当の意味で彼はこの番組を通じて自分自身、“未だ現役である”と言いたかったのかもしれない。そう思うと、現在放送されているMBSラジオの番組が、どうしてオイラには面白くない様に聞こえるのか、よくわかる様な気がする。