迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

人生すべて、“勝負”なり?!

ついつい考えてしまうモンだが、ニュースなんかで借金返済の為に強盗等の犯行に及んだ話だと、借金の理由として簡単に”ギャンブル”(特に競馬)をあげるパターンが多い。ちょっと待て、ギャンブルで身を滅ぼす奴って、金銭的余裕が無いクセに甘い考えで勝負事してねぇか?大体、ギャンブルで生計建てられる奴って、よっぽど腕のイイ株式ブローカーか、八百長できる度胸がある893…もとい、裏社会の人間ぐらい。大概はギャンブルで夢を見る事はあっても、結局は大損している自覚が無いだけで、家計に余裕が無い時程、勝負事を避けてるのが普通である。そして、借金の殆どはギャンブルではなく、“見栄”をはる為の高級ブランド商品などの講入資金にしている可能性が高い。(大概似合ってないのに…。)

で、大概の奴は“ギャンブル=悪”と考えるとは思うが、それは違う。“ギャンブル”というのは、人生そのものである。なぜなら、こんな経験は誰しもが一度はあるハズである。例えば、“お受験”と言っては、有名私立小学校の入学試験を無理矢理受けてみたり、惚れ込んだ異性に対して猛チャージをかけてみたり、エリートとして一流企業(と呼ばれているであろう会社)への再就職の為に資格を取ってみたり…。これらはすべて、結果によって一喜一憂する様は、競馬場でも同じだったりする。つまり、懸けてる単位が、どんな方法でも稼げるお金なのか、一度しかない“自分”の人生なのかの差である。金銭的なモノ(物理的な価値)は、別に自分の都合で諦めもつくし、それが無いと生きていけない訳でもない。しかし、“人生”となると失敗は許されない。正確に言うと、今後の生き方を左右する決断を強いられる訳である。ひいては、自分の子孫末代まで影響が出る可能性だってある。その事を考えた末に出した結論こそ、人生が面白くなる要因であり、波瀾万丈なのか平凡なのかの差ができる。
つまり、人生に於けるその時々の“決断”から得られた結果こそ、“ギャンブル”の醍醐味であり、常に勝負の連続なのである。肝心な場面での勝負を避けるのであれば、その時点で“敗北”なのである。勝負に敗れても、その悔しさが解ってるなら、まだ挽回できる。勝ったとしても、精神的にモヤモヤが残ったなら、それは間違った勝負をした証拠である。
“常勝”とは、読んで字の如く常に勝ち続ける事。しかしそれは、“人生に悔いを残さない生き方”の意味であって、“誰よりも勝ってなければいけない”とか“どんな卑怯なやり方でも勝てば良い”という訳じゃない。物質的な価値観を懸けるギャンブルは、引き際さえ見極めれば(欲張って深追いしなければ)、いつだってできるし、やめる事も勝手。でも、“人生”という名の“ギャンブル”は、たとえ自分がいなくなっても、他の誰かがいる限り、延々と続く。とにかく、自分の人生の勝負を投げ出す様な行為は、惨めだからやめた方がイイとオイラは思うよ。