迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

岸和田競輪場と“春木競馬場”の話。

オイラのオカンが入院してる病院は、以前から言ってるように、かつて競馬場があった場所の近所である。当然ながら南海本線(空港線)の線路をはさんで反対側には、岸和田競輪場がある。この競輪場、実は競馬廃止と住之江競艇場開設に深い“因縁”がある。とにかく、行政というモンは、庶民の利便性より財源確保のための“セコいやり方”を優先する事が多い。(だから、公営ギャングルの大半が赤字になるんだが…。)言ってみれば、欲張り過ぎた果てが、“財政難ゆえの公営ギャンブル廃止”というパラドックスを生んでいるのだ。

では、なんで岸和田市は競馬を廃止したのに競輪を存続させているのか?その答えを述べる前に、住之江競艇場と“住之江競輪場”の話をしておこう。“あれ?”と思われるが、元々大阪府の競輪場は、現在の住之江公園に存在していた。正確には、競輪場が“撤去・移築”された後に公園として整備したのが、現在の住之江公園なのである。なんで競輪場が移築しなければならなかったのか?その理由が住之江競艇場開設なのである。この競艇場、本来なら箕面市に建設されるべきだったのだが、競艇ができる様な溜め池が無かった事と、改めて競艇用の溜め池をつくるだけの土地や財源がなかったなどの理由で、代替地として住之江の貯木池群(平林や泉の辺りは昔から材木問屋が多く、そのための貯木池が多く点在している。)に白羽の矢が立ったのだ。(“なぜ箕面市か?”と言うと、日本財団の前身、日本船舶振興会の創設者である故・笹川良一氏の故郷が箕面市で、戦後の財政難に喘ぐ箕面市をなんとかしたくて、ギャンブルとしての競艇を思いついたという。ちなみに現在でも、大阪府とは別に箕面市単独で競艇が開催される事がある。)そして一時期は競艇と競輪が“共存”していたが、周辺住民の苦情や開催時の近隣道路が慢性的に渋滞する状況等から協議の結果、競輪場を移築する方向で決着がついたのである。
ちょうどその頃、大阪府としては開催コストが掛かり過ぎる競馬を廃止する方向で話がまとまり、春木と長居の競馬場の“廃止後”の整備について検討されていたのだが、長居の場合は周辺が既に住宅地(てか、住宅団地街)になっていた事もあって、運動公園として整備し直す方向で話が進んでいたが、岸和田市の方は、地元住民が競馬廃止に反対する意見が多かったという。それもそのハズ。主な経済産業が(この当時)工業よりも農業や漁業だった事もあり、また娯楽にも乏しい(年に一度のだんじり祭は別、アレは泉州人の“心の正月”ですから…。)エリアだったため、競馬場に訪れる客を相手に商売していた店舗も多かったせいもあって、競馬廃止はまさに死活問題だった。そこで住之江競輪場の“移設”の話となった訳である。
こうして、春木競馬廃止と引き換えに競輪を受け入れたのが、現在の岸和田競輪場なのである。奇しくも、住之江競艇場岸和田競輪場は、一つの道路で行き来できる位置関係にある。(クルマで住之江競艇場から新なにわ筋を南下し、旧国道である堺阪南線で浜寺公園の横を通過して行くと、およそ1時間で岸和田競輪場へたどり着く。)しかし、今でも春木駅やその駅前商店街は、かつての春木競馬場に向かう道に沿って作られているため、競輪ファンにとっては利用しにくい場所である。(最近でこそ、競輪場周辺にショッピングモールや日帰り温泉施設などができて、道路も若干整備されたが…。)“いつか消え行く風景”となってほしくない場所ではあるが、現状では競輪場の廃止もあり得る。堺阪南線で岸和田に向かうと、突然目の前に現れる大きな建造物が、“亡銭の廃墟”とならぬ様に見守りたいなぁと、競輪場を横目に病院まで行くクルマの中でオイラは思う。(たまには競輪場の方にも行ってやるか…。)