迷馬の隠れ家 はてな本館

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独裁者の“孤独”

“らじおゼミナール”で、努兄が北朝鮮問題を熱く語ってたが、ちょっと引っ掛かる発言をした。それは、「現行の政権を撃ち破るには、“北朝鮮には基本的人権が無い”事を世界的に知らしめるキャンペーンを展開するべきだ。」という事。確かに、“鎖国的外交”に対しては有効かも知れないが、根本的な解決にはならない様な気がする。なぜなら、そもそも独裁政権下において、それを打破するのは民衆の“獅子吼”であって、マスコミや政治家の見た目ばかりの“外交”では、かえって殻に隠るだけじゃないかと思う。(否、場合によっては戦争の“引き金”になる危険性も高い。)一番肝心なのは、この国の“病巣”の正体を解明する事と、優れた“哲学”をもって、独裁者自身のココロを変革させる事である。今までの歴史を見ても、目に見える力だけだと、最後のツメで“逃げられる”(自害・遁走等)ケースが多い。だからこそ、根気よく対話の席に座らせる為の“実証”を示す必要がある。

では、“独裁者という生き物”とは、いったいどんな性質があるのだろう?
共通して言えるのは、
1:他人に対する“コンプレックス”から生じる僻みを抱えている。
2:親族や友人が、ちょっとした冗談のつもりで言った言葉から精神的な傷を負い、人間不振になっている。
3:内面的で恒久的な“チカラ”より、兵器や財産等上辺だけの“チカラ”に頼って、結果のみを求める。
4:自分の復讐の為なら、誰が画策しても御構い無しで自分の“功績”のみ主張する。
5:完全に我を忘れている為、助言した配下の民を恨んで消去しようとする。
この5項目のうちの3つ該当した上で、なおかつ弁論に長けたカリスマ性が伴うと、総じて独裁者になりやすい。
金日正総書記(現地じゃ“将軍様”)の場合、このうち1.3.5が該当しているのだが、カリスマ性は皆無に近い。どちらかと言うと、その父親のカリスマ性を利用しただけで、周りの役人が、彼の精神的な脆弱性につけ込んで、悪政を繰り広げているだけに過ぎない。(ちなみにヒトラーの場合、全て該当したが、最後の最後に自分の過ちに気付いて、自害している。)
つまり、突破すべきは本人ではなく、その取り巻きが作り上げた独裁者という“幻影”である。なぜなら、いくら“将軍”や最高幹部と言えど、“神”ではない、人間だからだ。兵力等の“チカラ”に頼る程、弱い存在なのだ。そんな人間にとって一番恐ろしいのが、正しい宗教哲学をもって人としてのあり方を諭す哲学者の“言葉”なのだ。その言葉を聴かない様にする為に耳を塞ぐ方法として、武力や政治的な“脅迫”をやっているだけに過ぎない。そんな脅し、オイラはちっとも恐くない。むしろ、そんな上辺の“チカラ”を使用する程臆病な精神が、不憫に思えて仕方がない。失礼ながらオイラからすれば、所詮はその程度の“人間としての器”でしかないと見下す相手だ。そんなのが“国家元首”であるから、タチが悪いのかも知れない。