迷馬の隠れ家 はてな本館

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三冠馬との遭遇…

今日の朝、メジロラモーヌが亡くなったという訃報が目に飛び込んだ。オイラ世代だと若干馴染みが薄いが、スティルインラヴ以前に“牝馬三冠”を成し得た、モガミ産駒でメジロ牧場生産の女傑だ。この当時は“秋華賞”というG1レースがなく、エリザベス女王杯が3歳牝馬限定のレースだった。(この当時は2400m、現在は2200mで、4歳以上にも解放されている。)春の桜花賞、初夏のオークス(優駿牝馬)、そして秋のこのエリザベス女王杯を制して初めて“三冠牝馬”と呼ばれた。(現在は、“桜花賞オークス秋華賞”で三冠牝馬となる。)ちなみに牡馬の場合、イギリスの競馬にならい、春の皐月賞(本場では“2000ギニー”に相当する)、初夏に行なわれる東京優駿(これが俗にいう“日本ダ−ビー”)、そして秋の菊花賞(本場イギリスにおける“セントレジャー”がコレ)を全て制して“三冠馬”となる。

この日本における“三冠馬”は、中央競馬での正式な記録として存在するのは牡牝合わせて7頭しかおらず、現在のところ存命なのは、牡馬ではシンボリルドルフ牝馬では現役のスティルインラヴだけとなってしまった。(地方競馬での“三冠馬”は結構いるが、中央と違い、格が下がる。)
日本で“三冠馬”が誕生しにくい背景には、レース間隔が春の二冠と秋の一冠とで開いてしまうからである。そう、夏場をどう乗り切るかで勝負が決まると言っても過言ではない。そんな中で、シンボリルドルフメジロラモーヌは、各々のトライアルレースでも負けなかった。それはつまり、管理していた調教師や厩務員の緻密な計画と、繊細な心遣いで馬を取り扱ってたという事に他ならない。しかし、同じ事をやっていても、同じ様に“三冠”が獲れる訳ではない。あらゆる要素がひとつになって、初めて“三冠馬”が誕生するのだ。
実は、競馬アナにも言えた事で、“三冠実況”とは競馬アナにとって最も“難しい”実況である。なぜなら、同一の馬が三冠すべてを勝ち取るレースに、自分が実況する事自体が稀だからであり、例え二冠は実況できても、最後のレースで他馬に負けると、それまでの記録をもパーになるからだ。つまり、菊花賞秋華賞の“最後の一冠”は、関西の競馬アナにとって“三冠馬誕生”の瞬間を実況する唯一与えられた“チャンス”なのだ。きよぽんは、そんな“三冠馬誕生”の場面を都合4回(ミスターシービーシンボリルドルフメジロラモーヌナリタブライアン)を実況した競馬アナであり、薫兄…もとい、蜂谷アナはミスターシービーシンボリルドルフの三冠すべてを実況した競馬アナなのだ。(当然だが、北野アナもオイラの記憶が正しければ、ナリブーの菊花賞を実況した経験者だし、ニャオキ…もとい藤田アナも、ラモーヌの桜花賞エリザベス女王杯、スティルの桜花賞を実況してたハズ。)
今回そのチャンスを逃すと、KTVの馬場アナはたぶん、三冠実況をする“チャンス”を逸してしまう可能性が高い。(年齢が年齢なんで…)できれば、ディープインパクトには菊花賞までガンバってもらいたいモンだが、こればっかは、どうする事もできない。ただ、競馬の女神様が気まぐれを起こさない事を願うばかりだ。