迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その8(“時代劇”でのドタバタ)

“あどラン”といえば、年末&年始のスペシャル枠でやっていた“時代劇”シリーズ。都合ドラマ系は4回、舞台(松竹新喜劇)バージョンは3回放送された訳だが、そもそもは藤本アナの我侭企画(“鞍馬天狗”の殺陣をしたいというヤツ)から発展したネタである。また、実のとこを言うと、一番最初にやった“忠臣蔵”だけで終わらせるつもりだったらしいのだが、放送後反響が凄まじかったので、ついつい今年も…とエスカレートしたのである。(当然だが、この企画をやる時もアナとしての通常業務をこなさなければいけないから、台詞を覚えたり殺陣を指導してもらう傍ら、業務との頭の切り替えが大変だったらしい。)

忠臣蔵”は最初、ミリカホール(千里丘放送センター内にある、公開TV放送用ホール。別館スタジオでもある。)に組んだセットだけで収録するつもりだったのだが、東映黒田義之監督(時代劇の制作を担当している大御所)が、企画を聞いて参加する事に快諾し、“忠臣蔵”のクライマックスシーンである“吉良邸討ち入り”の場面を撮影する為に太秦の撮影所を使用したのである。これ以降、時代劇スペシャルの収録といえば太秦の“東映京都撮影所”(“映画村”はその一部を一般公開した施設。当然だが、あのセットでも撮影に使用する事があるのだ。)で行なう“あどラン”の企画上、最も大掛かりな企画になったのだ。(ちなみに、“忠臣蔵”をやった1985年は、NTVでも年末に放送予定していた時代劇の演目が“忠臣蔵”だった為、本物の俳優達が撮影に使った後の衣装に袖を通したアナ達は、素人以上に興奮したんだとか。)この時の主役である大石内蔵助は、英国の放送局へ出向していた高村昭アナが、帰国復帰後の“初仕事”として担当した。
第2弾となった“新撰組”では、かつては“演劇青年”だった緒方憲吾アナが憧れの近藤勇を演じる事となり、当の本人は他のアナ以上に“熱く”なっていた。それにひきかえ水谷勝海アナは、同じ主役級の土方歳三役だったにもかかわらず、レフティ(左利き)だったのがあだとなり、何度もNGをやらかしたとか。でも、一番気の毒だったのは、増田一樹アナの役柄。てのも、拷問にかけられた古高俊太郎役だったので、撮影中はずっと両腕を縛り上げられた挙げ句、水谷“歳三”が竹刀で殴りまくる(!!)という過酷な状況での撮影だったのだ。当然休憩中もそのまんまだったんで、スタッフも気の毒に思ってたそうです。(なんだが、増田アナのその後の運命を暗示してた様な…)
第3弾となったのは“水戸光国”…そう、あの“黄門さま物語”である。この主役を張ったのは角淳一アナ。ある意味一番贅沢な配役となったのが、助さんが野村啓司アナで格さんが近藤光史アナだったこと。いわば、あの当時のMBSスターアナ“夢の競演”だったのだ。また、この時は、大覚寺や広沢池でのロケも行ない、完全に“本格派時代劇”撮影の様なノリになった。また、城野昭アナの息子クンも“子役”として登場し、アットホームな一面も…。
そして第4弾が、杉田玄白の史実に基づいたオリジナル時代劇、“N・U(ヌウ)”である。日本で初めての解剖医学書、“解体新書”作成の裏には、宇宙人の存在があった…というハチャメチャな設定ではあるが、物語としてはかなり面白い内容だった。主役の杉田玄白平松邦夫アナが担当し、宇宙人N・U(ヌウ)役は着ぐるみを増田アナが、声を高梨アナが受け持った。(実は、撮影に入る前に時さんが胃潰瘍で入院したため、ちょっとした配役変更が行なわれた為に、こうなった様である。)これ以降は、松竹新喜劇をアレンジした“舞台劇”へ移行する訳である。
“亜都蘭(あどらん)一座”としての旗揚げ公演が、松竹新喜劇では定番中の定番である“お祭り提灯”である。この時は、藤山寛美が直々に演技指導を行ない、またオリジナルの台本にはない設定を盛り込んだ“あどランオリジナル”の味付けによる演出が施された。(いや、ね、台本通りに配役を決めていくと、どうしても井上光央アナのあてはまる役がなかった為、急遽“親の敵を探す虚無僧”という役を作ったのだ。)ちなみに、収録を行なった日が有馬記念だった為、美藤啓文アナは不参加だった。
で、“亜都蘭一座”第2回公演は完全オリジナルで、“あどラン”の保護者的存在だった放送作家香川登枝緒が台本を書いた“大評判ひつじ長屋”という作品。貧乏長屋が地上げを横行するヤクザに潰されようとしていたが、“長屋に住む3匹のひつじに救われる”という占いの結果を信じて、長屋にいる未(ひつじ)年の住人を探すのだが…ていう内容の話で、そもそもは藤本アナの“定年祝い”として演じられた。そして、この作品の放映後、諸般の事情のため、この企画はしばらくの間、“封印”される事となる。
その“封印”を解いたのが、新生松竹新喜劇で座長を務める事となった渋谷天外である。彼の呼びかけで、もう一回だけ“亜都蘭一座”を再結成し、“高津の富くじ”を演じる事となる。
実はオイラはこの作品だけは、(ビデオに収録したものの)内容をいまいち覚えていないのだ。本来は落語の演目で、それを新喜劇用にアレンジしたのがこの作品なんだが、他の作品より出来が貧弱で、“あどラン”の終焉が垣間見えた作品でもあった。どの作品もとても楽しかっただけに、非常に“もったいない”内容だった。

今年の春先に、柏木宏之アナの“ライフワーク”である“ドラマの風”というラジオ番組で、この頃を彷佛とさせるネタが放送された。現役を引退した藤本アナや井上(光)アナが、この企画の為に千里丘スタジオでの収録に参加し、非常に楽しかったと関岡香アナがホームページで語っている。確かに、あの当時は多忙な状況下で挑んだ事もあり、本来なら辛かったとは思うのだが、やりがいある“仕事”だったからこそ、みんなも楽しかったのだろう。それ故に、見ていたファンも毎年楽しみにしてたし、オイラもこの企画は大好きだった。(でも、努兄や薫兄が“主役”になれなかったのは、なんでやろ?)