迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer (vol.10)

こないだの予告通り、今月の“My favorite announcer”シリーズは蜂谷薫アナの話です。“あどランアーカイブ”ではマラソンの話中心でしたが、今回は“MBSの競馬実況アナ”としての部分を中心に、もう少し詳しい話をやっていこうと思います。
オイラにとって、競馬を始めるきっかけとなったアナであると同時に、競馬実況アナの事をより詳しく知る為のきっかけともなったのが、“あどラン”に出ていた薫兄だった。それまで、薫兄の存在は知らず、“競馬アナ”と言えばドロ臭いイメージのきよぽん(杉本清アナ)ぐらいしか思い浮かばなかった。そんな事もあったけど、薫兄もこの10月に“定年”となる。だからこそ、もう一度、原点に返って“賛嘆”しようという訳だ。

“あどランアーカイブ”でも触れた様に、アナウンサーになりたかった理由は、“生”で見たマラソンの感動を伝えたかったからだ。その夢を叶えたくて、いくつかの放送局やスポーツ紙(実は放送局がダメなら…と予防線を張ってた。)各社を受け、はるばる大阪まで就職活動をやっていた。そして、念願かなって、MBSでアナとしての内定を受けた。しかし、入社してわかったのは、スポーツ実況ではなく、DJやMCといった“バラエティー系”アナとしての採用だったのだ。確かに、入社時の写真を見ると、当時の男性アナとしては結構“ハンサム”な顔立ちをしていて、しかも細身の体格は、カメラでの見栄えが良く、すぐにでも努兄の“後継者”にでもなり得る可能性は高かった。が、薫兄はそんな“きらびやかな世界”があまり好きではなかった。しかし、辞令を受けた以上は…と諦めかけた時、同じ様な理由で悩んだ同期入社のアナがいた。それが緒方憲吾アナだった。彼は元々、演劇青年だったが、アナウンサーの道を選んだ時に、少しでも演劇(芸能)の世界に関わりたいと、バラエティー系を志願していた。が、見た目がゴツく、体格もそこそこあったのでスポーツアナの辞令を受けた。そこで二人は、各々の目指した道を歩む為に、お互いの辞令を“交換”したのである。それ以降、二人は硬い“友情の絆”で励まし合う事となる。(ちなみに緒方アナは現在、アナウンス職を離れ、千里丘の再開発に関わる部署にいるらしい。)
しかしこの事が、先輩スポーツアナの反感を買うハメとなる。特に野球中継班での“パワハラ”は酷かったらしく、この事が遠因となった“ハプニング”が、後々発生する訳である。そんな事もあって、まともにスポーツアナとしての実践経験を積む事ができないのでは…と言う不安を払拭する為に、当時は存在そのものが“いばらの道”だった競馬中継班に、あえて身を置く事となったのだ。(薫兄本人はその理由として、「年齢の近い先輩アナにゴチャゴチャ言われるより、10歳以上離れた先輩アナに指導してもらう方が、技術が身に付きやすいから」と言ってた。)
そんなある年のセンバツの時期に、薫兄に“異変”が起こった。その年の開会式の模様を、TVでの中継の実況を薫兄は任されていたのだが、本番直前になって体調不良を訴え、とりあえず甲子園球場内のトイレに駆け込んだ。が、待てど暮らせど放送席に戻ってこなかった為スタッフがトイレに迎えに行ったその時、男子トイレ入り口付近でドス黒い血の海の中で、グッタリしている薫兄を見つけた。すぐざま救急車で病院に運ばれ、診断した結果、十二指腸潰瘍で緊急の手術が必要な程の重症だった事が判明した。(実は薫兄、この影響で胃袋が通常の3/1しかないのだ。)
この事がきっかけとなり、周囲のスポーツアナからは“軟弱者”とか“貧弱アナ”と揶揄された…らしい。またこの事を理由に、野球やラグビー等のスポーツ中継のスタッフから外されてしまう事となる。しかし、その事は競馬中継のスタッフにとっては“ありがたい”話となった。なぜなら、それまでは“専門”として競馬実況できるアナが存在してなくて、大概は他のスポーツ中継の実況担当との兼ね合いを見計らって、競馬実況のローテーションを組んでいたんだが、薫兄がその役割をやってくれれば、他のスポーツアナ達が競馬実況ができなくなっても、中継を“存続”させる事が可能になるからだった。そこで、体調面とスポーツアナとして生き残る為の選択として、“競馬・競艇専門”の実況アナの道を選んだ。
“あどラン”が始まってすぐの時に、薫兄にその旨を視聴者にアピールする機会が与えられた。そこで、普段の“ラジオでの競馬実況”の裏側を紹介した。この放送以降、薫兄は完全に競馬と競艇以外の実況から身を引いた。しかし、思わぬ出来事が、この“あどラン”放送中に発生した。それが前回の“あどランアーカイブ”で紹介した、“マラソン”シリーズのネタである。これがきっかけとなって、競馬中継に“薫兄人気”が波及したのである。で、ある時に薫兄が一番“嫌ってた”ラジオパーソナリティーの仕事が舞い込んだのである。それが“気分はアクティブ”という番組だった。実はこの番組を薫兄が担当してなかったら、現在美藤啓文アナと来栖正之アナが週代わりで担当している番組、“ウイニングラン”が放送開始されなかったかもしれないのだ。てのは、この“気分はアクティブ”の1コーナーで、薫兄が好き勝手に(本当はマラソンの話をやる予定で)喋って良い部分があったのだが、このコーナーに競馬に関する質問や意見等のハガキが大量に送られて来た。で、とても放送期間中(ナイターオフ番組だったんで)に処理しきれないとなって、それじゃ番組に“昇格”しましょうとなって、日曜日の早朝に“蜂谷薫の走れ!ジョッキー”として独立させたのである。以後、時間帯を早朝から競馬場開門時刻の午前9時台の枠に移動し、後輩達に譲ったのが現在の“ウイニングラン”なのである。(実はこの“気分はアクティブ”放送終了後の改編で、競馬中継の一部をCRKからの放送へ変更したのだ。詳しくは“我等ラジ関ジェネレーション” まとめサイトで。)
薫兄が守って来た伝統あるMBSの“ラジオでの競馬中継”は今、美藤アナ、来栖アナ、そして大八木友之アナの3人が引き継ぎ、これからも放送され続けるでしょう。特に来栖アナは、事実上薫兄の“後継者”として競馬実況専門のスポーツアナに成長し、みんなを引っ張っている姿は、頼もしい限りです。けど、オイラみたいに薫兄の実況の凄さを知る者にとっては、まだまだ物足りない様な気がします。恐らく今後、皐月賞から実況して、三冠馬の誕生する瞬間を、しかも2頭も実況した競馬アナは薫兄以外で、できる可能性は低い様な気がする。(来週の菊花賞の結果次第だが。)でも、そんな事に驕れず、ただ黙々と目の前で行なわれているレースを実況し続けた薫兄は、やっぱり“スゴい”競馬アナだったんだとオイラは思う。以前、ある番組でのインタビューで、“俺の身体には、競走馬の臭いが染み付いている。”と言って、競馬実況アナである事を“誇り”に思ってる事をアピールしていた。最初は“仕事”と割り切って馬と向き合ってた競馬アナは、何時しか自分の“生き様”を競走馬に投影していた。そんな職人気質な競馬実況アナ人生も、終焉の時を迎えようとしている。