迷馬の隠れ家 はてな本館

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“憎まれっ子”の共通項目

日本シリーズもまだあるってのに、騒がしくなってきましたな、“金と肩書きの権化”ナベツネ&宮内オリックスオーナー(+三木谷楽天オーナー)。本当に、わかってるんでしょうか?既に時代は“マルチコンテンツ化”によって、ファン(ユーザー)がどれを見るか選択できる様になって来てる事を。また、関東のマスコミもそうだが、“巨人=全国区”という発想は、既に崩壊してる事を。こう考えると、なんだか“哀れ”で仕方が無い。今回の話は、そんな“権力欲”に目が眩んだ人々の“悲劇”と、物事の“空気”を読む事の大切さを、オイラなりに書いていこうと思う。

“憎まれっ子、世に憚る”なんていうことわざがあるが、基本的に本来の意味からすれば、“憎まれっ子≠悪者”である。つまり、どんな世の中にも、憎まれ口を叩くヤツはいるが、決して悪気があって言ってるのではない。むしろ、聞き手の方が冷静さを欠き、“暴走”してる可能性も高い。が、“悪”は別物である。要は、“自分達が疎外された”からと言って、他の人が楽しんでる事に割り込んだり、注目している事柄から目を逸らそうとして妨害を働く行為は、決して“憎まれっ子”といえどやっていいハズが無い。
じゃ、何でそんな事をするかと言えば、つまりは“自分の世界”という名の殻に籠って、自分の思い通りになれば“幸福”になれると“思い込んでる”からだ。実際は自分の事を理解してくれる“仲間”が欲しいのに、自分からは娑婆(しゃば)世界(この場合はあらゆるコミュニティー)に降りず、“誰か”が来てくれる事を待っているだけなのだ。で、その“誰か”が来てくれて、自分の思い通りに遊んでくれる時は大人しいが、自分に意見したり相手が不平をこぼす様になると、相手の弱味に付け込んで脅したり、自分のモノでもない"共有物”に対してまで“所有権”を言い出す等、“自分を主張”して他人を貶す様になる。そして最後には、自分に注意してくれる親しい人にまで牙を剥き、孤立した“幸福論”で解決しようと右往左往する。
そう、独裁者は常に孤独であり、近付く者といえば大概は“ならず者”ばかり。そして何か自分に不都合な事が発生すると、確実に相手を“完全消去”しないと気が済まないのだ。これが現在の“かの北国”や“強欲大陸”、さらには旧来の共産圏やナチス等の“共通”した終焉の姿である。そしてそれは日本でも同じで、現在のプロ野球機構は、事実上ナベツネの“支配下”で開催されているのだ。つまり、自分とこのチーム(ジャイアンツ)が腑甲斐ないのは、実質上のオーナーである自分のせいである事を棚に上げ、他のチームを妬んでは、あらゆる方法で窮地に追い込み“排除”しようと画策し、挙げ句の果てにはルールの改訂や試合日数まで“勝手”に弄ってるのが現状だ。これじゃ、純粋なる野球ファンが減るのも仕方が無いし、有望な選手もメジャーリーグへ“逃亡”するのも無理はない。
何でそう思うのかって?実は“なんばパークス”の一角には、かつて“大阪球場”だった頃のモニュメントがあり、さらには南海ホークス関連の展示物もあるのだ。そこには、日本シリーズでもらえるトロフィーも飾ってるのだが、そのプレートには、デカデカと“日本テレビ放送網”という文字が刻まれてる。そう、中継権も含めて、日本シリーズそのものは“読売新聞社”グループが主催してる様なモンなのだ。(“浪速面だらけ”入り口付近に展示してあるから、一度訪れる事をオススメする。)
そこまでして、何で開催するかといえば、つまりは“多くの人々にジャイアンツのプレーを見てもらいたい”という考案者、正力松太郎(読売新聞社の創設者、ナベツネの前にジャイアンツのオーナーだった。)の2リーグ化で野球ファンに混乱を招いた責任を取る為の“苦肉の案”だったからだ。(本来は、セ・パ関係なく平等に“日本一”になって欲しいからこそ、開催を決めたのだが…。)だからこそ、“八百長”までしてもジャイアンツが“日本一”になる様、仕組んだのだ。この事は、実は他の球団オーナーや一部の有識者(財界人)はナベツネに対して、この点を指摘していたのだが、東京を本拠地にしているジャイアンツの“オーナー”ゆえに、“田舎成金の分際で…”で相手にしなかった。そして、弱味を握られてる球団は、逆らえる訳も無く今日までズルズル来てるのが現実なのだ。
しかし、もはや時代は、オイラ達ファン側に流れている。そう、本当に野球が好きな人なら気付いてるハズだ。全国ネットで放映してるのが、なぜかジャイアンツ戦中心なのだという事。本来見たい対戦カ−ドは、現在でこそネット配信やBS・CS放送を通じて観戦できる様になったが、今まではそれができなかった。今こそ、2リーグ制だからの“楽しみ方”が増えたのだから、維持存続する為の“改革”が必要であって、時代に逆行する様な“改革”は無意味だ。そういう意味では村上世彰氏の“提案”は、一理あるとは思う。が、そういう話はシーズンが全て終わって、ほとぼりが冷めてからやるべきであり、現在進行形でやるべき事ではない。
全ての人々を救う事は難しい。が、自分達が本来やるべき事をキチンと遂行する事によって、このゴタゴタを“粉砕”する事が可能だ。ファンもオーナーも、そして選手達も、まだ“諦め”てはいけない。“自分達ができる事”…そう、それを実践し続ける事こそ、プロ野球を包む“闇”を照らす“光”となるから。