迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“パブリック”と“プライベート”の境界線

昨日(てか、今朝早朝)の“らじゼミ”で、“公人”と“私人”の使い分けがどうのと、努兄が吠えていた。ま、わからなくはないが、確かに小泉首相の“靖国参拝”に関してといい、NHKの若手の不祥事といい、公私混同甚だしい行為が目立つ様になったとはオイラでも思う。が、よく考えてみると、“プライバシーの侵害”とか言って保護されている“どうでもいい情報”より、本当に重要な項目の情報が筒抜けというのは、どういうことだろう。真っ先に考えてみたら、“個人情報”って個人によってピンキリであって、どこまで“公開”してかまわないのか、どんなことを“暴露”されない様気を付けるべきか、ハッキリ言ってオイラでもわかんない。
事実、このBlogの月一企画の“My favorite announcer”シリーズだって、本当だったら本人に直接確認を取ってからやるべきなんだが、相手だって本業の邪魔はされたくないだろうし、まして一個人のために“個人情報”を漏洩するほどの“お人好し”なんているハズがない。だから必然的に、図書館等にある資料文献やデータベースを等を参考に、ひとつひとつ纏めていかないと“ネタ切れ”になる。とはいえ、突っ込んだ情報は、たとえ“真実”でも公表する訳にはいかない場合もある。

公の場において公表できる情報って、本当だったら“秘密”にしておきたいのもある様な気がする。けど、マスコミ…特にTVカメラの前で仕事してる人々に、話さなければならない話ほど無視され、いらん“個人情報”(特に“闇の人間関係”みたいな部分)だけが先行し、本当の“気持ち”ってディスプレイの向こう側には全然伝わってない様な気がする。
他人の“秘密”を知りたいのは、誰しも何だかの“コンプレックス”を持っているからであり、知られたくないから隠そうとする。だが、“知っててあげるべき人”と“知らんでもエエ人”とでは、感覚が違う。前者は、相手の弱味や難癖を知った上で、その“秘密”を保持できるほど“お人好し”な人で、後者は単なる“知りたがり”でおしゃべりなヲタである。だからこそ、相談に乗ってやれる“親友”や家族・親戚が“知っててあげるべき人”となるべきであり、その他は“知らんでもエエ人”でもいいのだ。
また、“公の場”を勘違いしてはいけない。所詮は譲り合いながら“自分らしく生きていく”場なのだから、ほかの人を妬んだり僻んでては、自分の場も失うハメになる。相手の“本当の気持ち”を察してやれないのなら、理不尽な要求を突き付けるのは、お互いにやめた方が良い。でないと、本当に“大切なこと”を失ってしまうから…。