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あどランアーカイブ その10(“80時代”のアナ番組)

“あどラン”が放映されてた1984年以降、在阪のTV放送局(NHK含む)や東京の放送局では、“あどラン”の“類似番組”が放送される機会が多かった様に思える。ちょっと前(といっても、4年くらい昔)の“晴れたらイイねっ!!"も、ハッキリ言って“あどラン”の特集コーナー(特に挑戦モノ)に類似していた。(現在の内容は、オイラ的に見る気もないが…。)そういう意味では、最もアナの“個性”がどの放送局にも充実していて、とても面白かった印象がある。でも、最近の若手・中堅にしろ、ベテラン・大御所級にしても、全然面白味がない。個性を“強調”し過ぎたせいなのか、それともネタが尽きたのか、タレントでもそうだが、“何か”が足りない。
そこで今回は、“あの時代”の、他局の“あどランもどき”をオイラの憶えてる範囲でピックアップしてみようと思う。

1980年代前半にスタートした“あどラン”は、当時は大阪のみならず東京の放送業界関係者にも“バカうけ”していた。特に華やかだったのが86年以降のいわゆる“バブル景気”と言われ始めた頃。そしてこの時期に中年男性局アナの“フリー化”が進んだ訳である。(この前に1970年後半期、当時の若手人気アナの“フリー化”が相次いだ訳だが…)ここではその事について詳しくは書かないが、この時期に“あの人”に続けとばかりに所属放送局を退社し、独立したアナの大半は、現在でも第一線級で番組を仕切ってるのが目立つ。
で、関西エリアでは、フリーになっても“喰いブチ”が地元タレントと“競合”するため、殆どのアナが“冒険”をしなかった。しかし、放送局は何としてでも自社の局アナに“目立って”貰いたい一心で、アレやコレやと日々悶々としていた訳である。しかもMBSはそれをいち早く“あどラン”というカタチでやってるモンだから、他局アナ達は焦る一方だった。そこで、“打倒あどラン”と言わん我ばかりに同じ様な企画の番組を制作する様になったのである。その急先鋒を務めたのが、ABC朝日放送の“夜のAタイム”水曜枠での放送となった“今夜は、あなタイム”(だったかな?)だった。が、当時のABCには女子アナが全くいない(つまり、男性ばっかりな)上に、丁度あどランと同じ11時台だった事もあって、約半年で“放送終了”となってしまったのである。当時の事を、道上洋三アナは“あどラン本”2冊目で、“ただただ『あどラン』の話題づくりに貢献したばかりで、終わってしまった。(中略)肩肘張らない自由学園的雰囲気は、うらやましい限り。”とメッセージを残している。
これに続いたのが、YTV読売テレビの“アナでまるごと150分”なる特別番組として、日曜日の深夜に生放送でやった。ただ、“全員参加”を強制した結果、翌日の勤務(“ズームイン!!朝!”の中継や早朝のニュース読み等)等に多少影響が出たらしく、一回だけの放送で終わってしまった。(ま、一番文句を言ったのは、その当時放送していた“おもしろサンデー”明けで、そのまま出演した誰かさんでしたけど…苦笑)
そして間髪入れずにNHK大阪放送局でも、深夜のローカル枠という事もあって、近畿管内のNHKアナに“召集”をかけ、一度だけ“アナ全員集合”みたいな番組を放送した。けど、東京本局から大目玉を喰らったらしく、これも一回だけの放送だった。(コレは放送時間帯のせいもあって、オイラは見逃した。しかも放送中にニュースを挟む念の入れ様は、流石当時のNHKらしい真面目さが滲み出てた。)
ようやく深夜の“アナの馬鹿騒ぎ番組”乱立が収まりかけた頃に、今度はKTV関西テレビが、ベテランアナだけで“VIVIDたいむ”なる番組で先行して放送していた若者向けの“エンドレスナイト”(あの伝説の深夜番組。現在のKTV社長も、プロデューサーとして一時期参加し、よく視聴者イラストのネタにもされていた。)と同時進行(てか、若手とベテランを分散して)で放送をやり出した訳である。しかし、“VIVIDたいむ”の方の内容が硬派だった事もあって足並みが揃わず、結局はあまり長くは続かなかった。ただ、その後も時間帯を昼前に移して“はらぺこ探検隊”という料理番組に姿を換えて継続していった。(この当時、TVOテレビ大阪は既に開局していたが、アナの数が少なすぎたため“参戦”せず。)
もし仮に、現在のメンツで“あどランもどき”を放送するとなれば、一番面白いのはおそらくABCだろうとは思う。だが、やはり本家“あどラン”の様な真面目さとユーモラスを“渾然一体”にした番組を作るのは、おそらく不可能だろう。そういう意味では、“あどラン”という番組は、放送業界の常識を破った“完全体バラエティー”だったというべきでしょう。