迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer “NEXT” vol.4

今月の“My favorite announcer”は、ラジオたんぱネタです。とはいっても、先に“NEXT"からやらせていただきます。(てのも、今月のピックアップするアナにとっては、“戦友以上、親族未満”な方なんですよ、この人とは。)
てな訳で、ココでは先週“還暦”を迎えた白川次郎アナについて、ちょいだけ書かせてもらいます。(そういや、薫兄とタメ年なんだよなぁ…。)

まあ、競馬ファンならお馴染みの“バリトンボイス”の持ち主で、ラジオたんぱの競馬実況を語るには欠かせないアナの一人であり、また、“しゃべって…”でも“お茶目な上司”として話に上がる程、部下に寛大なイメージのある関東の競馬アナの重鎮。(といっても、彼の更に上には、とんでもない“先輩”がいるんだが…。)
白川アナに限らず、昭和初期から終戦後数年間に生まれた人々は、いろんな意味で“混乱”の中に翻弄された形跡がある。薫兄もそうだが、彼も出生地と実際の出身地が違う。プロフィールでは高知県になっているが、それは戸籍上そこで生まれただけであって、実際は小学校に上がる直前まで愛媛県で育った。その後父親が彼の兄に上質の教育を受けさせたいという願いから、東京へ移り住んだとのことである。(ちなみに薫兄は、出身地が函館となっているが、実際は横須賀が“故郷”なんだそうな。)
んで、元々“次男”だったから自由奔放に育てられたのだが、大学に入学した年に、兄が病死するという事態になり、その“しわ寄せ”が彼に振りかかった。しかも入った大学が大学で、将来は放送業界に入ることを言ってたらしいのだが、そういう事情もあって、地方の放送局ではなく“東京限定”を言われたそうな。で、結局ラジオたんぱが内定をくれたので、“長男代理”の責務だけは果たせたみたいです。(ちなみに白川アナの大学時代の先輩の一人が、実は努兄だったりする。)
G1戦線に色を添えてきた白川アナも、実は視力には“泣かされた”アナである。以前にも書いたんでご存じかと思うが、競馬実況アナは“視力・視覚”が“生命”ともいえる職業で、たとえ近視・乱視であれ老眼であれ、眼鏡やコンタクトレンズを使用することは、実況ではかなりの“ハンデ”となる。ゆえに、実況時以外はなるだけ“視力保持”に努める競馬実況アナもいる程。白川アナの場合は、まさにその“ハンデ”との戦いでもあり、それが原因で一時期、網膜に異常をきたした時期があった。正確には、眼球が一部変形していたらしく、その上で激しい動きを描写する実況をやってた訳だから、それがたたって網膜剥離(に近い状態)になったとのことである。そこからさらに、今日まで実況をやっていたのだから、“職人魂”がなせることと感服する次第である。
ま、これ以上詳しく書くと、“本編”がつまらなくなるんでこれくらいにしておくが、もし、“もっと白川アナのことが知りたい!!”と思ったら、白川アナ本人が、“あと100っ!”ていうエッセイ本を出してるんで、機会があったら図書館やJRAの広報コーナー(確か関東は新橋、関西は梅田にある)とかで読んでみて。(このネタは、この本を参考にしました。)