迷馬の隠れ家 はてな本館

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My favorite announcer (vol.11)

なんだかんだ言いながら今月で11回目の“My favorite announcer”シリース本編。今月はなにげに検索理由にピックアップされ、しかもここんと注目される機会が増えた、ラジオNIKKEI(ラジオたんぱ)の“ニャオキ”こと藤田直樹アナの話です。
“たんは西の双璧”の片割れ、守タン(北野アナ)の話は以前この“My favorite announcer”でも取り上げたんで、今回はもう一人の“大阪支社の雄”の話をやっていこうという訳です。そもそも、なんで競馬アナになったんか、そこらへんに関してもちょっとだけ触れますが、基本的にはオイラなりのニャオキに対して持っている“イメージ”で話を纏めてみます。

そもそもスポーツアナになりたくて、あらゆる放送局の入社試験を受けたんだが、受け入れてくれたのがちょうど大阪支社の競馬アナの増強に躍起になっていたラジオたんぱだったとのこと。で、入社してすぐに先輩アナに言われたのが、“競馬実況ができないなら、すぐに辞めてもらうからね…”だそうな。だからほかのスポーツ実況もしたかったニャオキにとっては、この事はちょっとショックだったらしいです。しかし、運が良いことに、その当時から同い年の守タンがライバル兼パートナーとして存在し、前回の“NEXT"でも紹介した白川アナがちょうど大阪支社に“転勤”して来た頃なんで、一緒に競馬実況のノウハウを学ぶことができたんだとか。
守タンが京都競馬場での長距離戦のイメージなら、ニャオキの場合は阪神競馬場の、しかも桜舞うマイル戦…そう、桜花賞が非常に似合うアナであり、オイラですらニャオキの実況イメージは、桜の花が持つ華やかさと儚さ、その中を疾走する馬の画像を想像してしまう。おそらく、あの低音で甘く響く声を早口で実況するスタイルが、そういうイメージを掻き立てるんだろうと思う。(オイラは影で、あの声を“スウィートチョコレートボイス”と呼んでいる。)確かに、守タンに比べると忙しい感じだが、これが1200mとかの短距離戦実況の時は、妙にマッチするから不思議である。で、一番程よいのがマイル(1600m)戦で、この距離だと競馬場もコースの質も、なぜか全然違和感なく聞けるのである。
如何にも“大阪人”らしい風貌なのに、どこか爽やかさをも感じられるのは、とにかく“礼儀正しい”性格であることと、いつでも守タンの“補佐役”というポジションで仕事していたことが大きく関与してると思われる。元々守タンは、イベントに出向くことが多く、ついつい放送席を抜けてしまう事が多かった。(特に関西G1での表彰式では、その進行役を担当する事が多かった。)その度に大概はニャオキが最終レースの“実況担当”をするなんて事があった。しかし、その逆のパターンは、皆無だった。また、守タンがG1の実況の時には、必ず実況の補助をやっていて、息が合っていた。が、そんなバランスが崩れたのが、4年前の人事異動である。
それまでは、若手アナが3〜4年周期で入れ替わり、その“教育係”として守タンとニャオキが一緒に面倒を見ていた訳である。しかし、ある若手アナを大阪支社に修行に出す時、面倒な事が発生したのだ。と、いうのは、その前の年に檜川アナが大阪支社に転勤したばかりで“本社転勤”が可能なアナが、とうとう守タンとニャオキだけになった訳である。で、どっちを大阪支社に残すかを考えた時に、守タンの場合は家庭の事情(高齢の母親と一緒に住んでたり、奥さんが地方議員をやっていて、地元から離れられない等)もあったんで、ニャオキに白羽の矢が立った訳である。そして、“あの”大チョンボ(別名:エアエミネム事件)を守タンがやってしまい、1年近く干された際に、関西担当のアナが“人手不足”となったのである。で、結局若手アナを早々と本社に戻す事にして、大阪支社に戻って来た訳である。本当は中央競馬の競馬場を“重賞競走”の実況で全制覇したかったらしいが、移籍後に巡ってきた札幌記念の実況チャンスを風邪で交代してもらったり、新潟競馬場がまだ改装中だったんで、この2場の“重賞競走”を実況できずじまいでの“帰還”となったのが、“心残り”なんだそうな。(ラジオたんぱの競馬アナは、一部の人を除いて、すべての競馬場を実況する機会があるんで…。)
ただ、今年の後半は無敗の三冠馬誕生の瞬間を実況したり、某缶コーヒーのCMで“実況”したりと、なにげに注目を集めたことを考えると、やっとスポットライトが彼んトコに来たという感じがする。そういう意味では、かなりの苦労人であった事には間違いないだろう。今後どこまでやれるかはわかんないけど、注目されるアナの一人であることには変わりない。