迷馬の隠れ家 はてな本館

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神戸・関空と伊丹の話

来年2月16日(ん、なんや引っ掛かる日やなぁ…。)に神戸空港が開港する訳だが、実は伊丹空港(正式名称:大阪国際空港)に替わる“関西新空港”建設計画の候補地に、当初は神戸沖もあったのはご存じだろうか?今回はオイラの解る範囲で、この3空港にまつわる経緯と、今後の関西エリアへの空からのアプローチについて説明しましょう。
まずは今後の“利用方法”について。一応、どの空港を利用しても大阪エリア発は“同一料金”(同一空港扱い)なんで、大阪市内在住(または大阪市内から出る)なら、どの空港を使っても構わない訳だ。また、大阪に“戻る”時、空港の航空会社カウンターで搭乗便変更(一回だけ空席があれば、予定便よりも早い便に変更が可能。但し、スカイメイト利用者を除く。)の際に、路線がある限り、振り替えは可能なのだ。(オイラもよく、札幌からの帰りを家庭の都合で、伊丹の最終から関空の最終に変更してもらう事がある。理由は簡単、関空便の方が早い時間帯に最終が出るからだ。)また、関西エリアでの目的地に近い空港を選ぶという事も可能になる。つまり、神戸へ直接行きたいなら、神戸空港を利用すれば良いし、京都だったら伊丹空港の方が近い。(関空USJに近いし、路線によっては国際線への乗り継ぎは、関空の方が便利。)
ま、これが利用客にとって、メリットといえるかどうかは、今後の利用状況を見てからでないとわかんないが、旅好きにとって、各々の違いを見る楽しみが増えるのは何よりだ。

地元の人間は“大阪国際空港”を伊丹空港と言ってる訳だが、実は滑走路および空港ターミナルビルの殆どが兵庫県伊丹市の領域にあるからで、開港当時はまだ田舎の田園風景が広がってる様な地域であった。(正確にいうと、田畑に引くための貯水池が点々としている様な場所)が、様子が一変するのは大阪万博開催以降である。
そもそも、この万博に合わせて作った様な空港なんで、当然その周りの道路や鉄道網が開発されるのは当たり前なんだが、当時は高度成長期で深刻な住宅不足、そこで万博開催後を睨んで、周辺を住宅街として開発を進めていった訳である。ところが、大きな問題として当時はプロペラ機(主にYS-11型)がメインだったのが、国際線乗り入れでジェット機が頻繁に離発着する様になった訳である。しかも国際線の場合、到着時間が深夜になる便もあった為、当然ながらその爆音に住民は悩まされたのである。そこで国は大阪府兵庫県にまたがる空港周辺11都市に対し、助成金を出して住宅全戸と公立学校のすべてに防音工事を行うことになったのだ。しかし、それだけでは対策不十分として住民が騒ぐんで、仕方なしに空港の利用可能時間を午前7時から午後9時までとしたのだ。
関西の経済発展を考えると、この“時間制限付き国際空港”では、諸外国はおろか首都圏との経済格差が広がるとし、24時間利用可能な新空港計画を立てたのである。そこで候補地を選定する際に神戸市もピックアップされたのである。が、当時の神戸市と兵庫県知事は、諸般の事情(船舶輸送の拠点としての神戸港との共存や、伊丹空港の騒音問題等)で、この話を“蹴った”のである。つまり、この当時の知事がバカだったのか、当時の運輸省(現在の国土交通省)の説明がマズかったのか、神戸沖の“国際空港”建設の話は立ち消えになったのである。
で、代わりの候補地を探していたら、当時の大阪府知事が“同じ大阪湾に作るなら、ココに作ってや!!”と泉南沖のエリアを推奨したのである。この時、実は地元の漁師達から猛反発を喰らったのだが、泉南地域の経済発展と、北部に集中した人口を何としても南部にも広げたかった思惑もあって、“あの”エリアに建設することにした訳である。こうして、伊丹空港廃止を前提に、関西国際空港が作られた訳だったんだが、ココで伊丹空港周辺11都市がダダこねを言い始めたのである。そう、この空港から得られる“地方税”と国からの空港設置に伴う助成金は、この周辺11都市の財政を支える重要な収入源。それが丸ごと関空周辺の泉州地域(特に泉佐野泉南市忠岡町)に移行されると、一発で大阪府以上に“赤字自治体”に転落する危険性もはらんでるのだ。そこで、今までは騒音対策に躍起になってた住民が、今度は存続を求めた活動を始めた訳である。
実のところ航空会社にしてみれば、伊丹空港が24時間利用可能であれば、羽田や成田に振ってる国際路線を大阪にまわす事だってできたのだが、いかんせん“住宅地の中の空港”なんで、周辺住民の意見を飲まざる得なかった部分がある。また、関空は“いつでも利用可能な海上空港”ではあるが、天候(特に風)に振り回されやすく、連絡橋以外の地上アクセス方法(海上アクセスはもっと不利)がないので、貨物輸送関係者にとっては凄く使いづらい空港なのだ。また、騒音問題の関係上、殆どの便が大阪湾上空での旋回を行って各々の空港に降りる事になっているので、実は大阪湾上空は、いつ飛行機による上空での衝突事故が起きてもおかしくないほど、かなり混雑してるのだ。
そんな問題が山積み状態で、しかもバブル期に開港した関空には、期待した程の経済効果が見込めずに、大阪府は膨大な赤字を背負ってしまってる訳である。そんな時に起きたのが、あの“阪神・淡路大震災”である。
それまで神戸市をはじめ、兵庫県南部(特に阪神地域)は経済的に裕福で、“神戸ブランド”だけでも経済効果が凄まじいモンだった。が、あの震災で全部がパーになった訳である。特に港湾エリアは、埋め立て地が殆どだったこともあって、深刻な液状化(水分の多い地質が地震の震動によって、さらに不安定な泥状になる現象)の被害に遭い、船舶を着岸する事ができなかったり、このエリアの工場が建物の重みで傾いたり、道路が寸断されてしまったのである。で、その影響で神戸港を避けて他の国際港(特に横浜港)に船舶貨物が行ってしまう事態となったのである。そこで、ポートアイランド沖に作る予定だったコンテナ船専用の貨物港の代わりに、空港を作ろうとなった訳である。本当は神戸市民は猛反対したのだが、“震災復興”という課題の前では沈黙せざる得ない状況であった。
つまり、このややこしい問題のことの発端は伊丹空港周辺住民のゴタゴタであり、それに巻き込まれたんが関空と神戸市民な訳である。言い換えれば、国(特に当時の運輸省建設省)がキチンと周辺地域にメリットとデメリットを説明しなかった事が重大であり、また、説明していてもメリットの部分しか聞かなかった地方自治体にも責任がある。いずれにしても、“自分達に責任はない”と決め込んでる自分達が一番悪いのだが…。