迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.12

今まで関西の“放送局在籍経験”アナ中心で書いてきたこの企画、今年の締めを務めますのは、あえてこの方にしました。今年で13回忌、そして存命であれば薫兄や白川アナと同い年で還暦を迎えていたであろう、CXフジテレビの“真面目系カリスマアナ”逸見政孝アナです。
なぜこの日に“My favorite announcer”で取り上げるかといえば、今日(12月25日)は、彼の“命日”だからです。オイラにとって彼は、ハッキリ言ってしまえば“どこにでもいるフリーアナ”なんですが、ある時の“出来事”がきっかけで、忘れることのできない存在になってしまいました。実は、コレを書いている最中、思い出して涙が止まらず、ついついキーボードを叩く指が止まってしまいます。この企画ではあくまで“オジアナヲタク”の視点で一人のアナを分析・解説していく事がコンセプトなんですが、どうしても…

本来彼は大阪人なのに、なぜか“関西弁”を封じていた。それは、“アナウンサー”という一人の“言葉の職人”としてのこだわりであり、関東…それも東京キー局のアナであるがための“言葉のコンプレックス”を克服する為の苦心でもあった。アナになりたいと思ったのは、大学入試に失敗し、しかも当時付き合っていた彼女にフラれたという、何とも理由としては不純な思惑からだった。でも、この1年間の“寄り道”で、“彼女を見返す方法”として選んだのが、東京の局アナになって、全国ネットで名を馳せるという壮大(?)な計画だった。その手始めとして早稲田大学を受けたんだとか。(で、ついでといっては何だが、1回目で失敗した関学同志社も“制覇”したって事は…相当“浪人生活”がコタえた様である。)
その早稲田のキャンパスでの4年間で、今まで慣れ親しんだ“関西弁”を一切封印し、“標準語@関東アクセント”を身に付けたのである。この時に親友として、また“ライバル”として知り合うことになるのが、かつてCXのスポーツ中継のエースだった結城思聞…もとい、松倉悦郎アナである。(現在は姫路市郊外の寺院で、住職になってるそうです。)同じ学部で同じクラス、ついでにCX入社も同期なんで、お互い切磋琢磨しながら、最初はスポーツアナとして活躍していたそうです。けど、松倉アナと違って、アナウンサーの道を選んだ理由がある意味“勢い”だけだったんで、結果的には午後の情報番組での“体当たりレポーター”(ある意味、征平タンと同類?!)で、コーナーの“引き立て役”として、全国区へ登場することとなる。
後にローカルでのニュースキャスターを経て、いよいよ本格的に全国ニュースのキャスターとして抜擢される訳だが、この時はちょうど、“夕焼けニャンニャン”が放送されていた時代であった。で、ある日のニュースコーナーで、当時メインMCだった片岡鶴太郎に対して、「さんまさん、どうぞ。」と言ってマイクを振ったのモンだから、さぁ大変。今まで“真面目”がウリだったのが、この些細な“いちびり”で、一気に“人気者アナ”へと登り詰める事となる。そしてそれは、CXを一気に“バラエティーの王道”へと変革させ、いつしか関東の全ての局アナを巻き込んだ“一大アナブーム”の原動力になった。そして42歳の時、ポケベルの“誤動作”がきっかけだったとはいえ、満を持してフリーに転向したのである。
しかし、その6年後、人気絶頂期の彼の身体を病魔が襲ったのである。それは、彼の弟の命を奪ったのと同じ病だった。弟の死をきっかけに、健康には人一倍気を使っていたが、結果的にはガンに蝕まれてしまったのである。
実はオイラ、彼が亡くなる数カ月前に、MBS千里丘放送センターで会ってるのだ。正確には、たまたまオイラが見学していた番組にゲストとして出演していたんだが、ちょうど手術した後(報道では“十二指腸潰瘍”でとなってたが…)だったんで、時折ツラそうにしていた。けど、本番中はそんな素振りを一切見せず、気丈に振舞っていた。まさか、あの時の“出会い”が最初で最後になるなんて、思ってもいなかった。だから、彼が亡くなったという一報を聞いた時、空に向かって“マーティ逸見さんのバカ!!”と叫んでた。

もしも彼が今、心配してるとすれば、それは世間が自分のことを憶えててくれてる人がいないのではないかという事だろう。でも、オイラは忘れない。だから、改めて天国にいるであろう彼に誓う。

どんな事があっても、アンタのこと、憶えててあげるよ…。