迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.13

今年もこのシリーズはやりますよ。ただ、去年と違うのは、取り扱うアナの年齢や性別、さらには関西以外のアナも取り扱う予定にしております。
さて、今年のスターターは、この方に登場してもらいましょう。ダメ猫阪神ファン“御用達放送局”SUN-TVの谷口英明アナです。この方、実はこの放送局と“運命的な縁”があって、どうしてもココで“プロ野球実況アナ”になりたかったんだとか。その思いや熱意は、調べてみるとタダ者ではない様です…。

生粋の浪速っ子である彼は、当然の事ながらかなりの“トラキチ”である。そんな彼がこの放送局と出会ったのは、ちょうど中学生の頃。その時SUN-TVはまだ開局したばかりで、そのキャンペーンとして阪神戦が行われる球場では、(当然だが、甲子園だけじゃなく、阪神間の球場ならどこでも…)無償で専用の“コンバーター”を配ってたそうな。(昔のTV受信機には、VHF方式の電波しか受信できなかったらしく、外付けでUHF方式の受信機が必要だったんだとか)で、彼の同級生に兄が南海の選手だったんで、大阪球場(現在、なんばパークスがある場所)での公式戦(当時は1リーグ制)阪神−南海戦のネット裏席チケットを取ってもらって、それを観戦した時に、当時のスタッフからもらったんだそうな。で、当時は(地上波においては現在でも)阪神戦を試合終了まで放送するTV局はココしかなかったんで、当時のトラキチな大阪人は、こぞってこの“コンバーター”目当てに球場に行く人がいた程で、神戸の“できたてTV局”なのに大阪での注目度は非常に高かった。彼もまた、この“コンバーター”を自分ちのTV(当然だが、一家に一台の時代ゆえ、親の承諾を得てからだが…)に付けて、“ボックス席”を見ていたそうな。が、この出来事が、後にココの“アナウンサー”としてデビューするきっかけになるとは、つゆ知らず。
その10年後、野球好き少年は青年になり、大学時代に就職活動をする事になるんだが、その時にSUN-TVが社員募集を行ったのである。ちょうど開局10周年という事もあって、アナウンサーを1名だけ(一般職は数名程)募集する事にしてたらしく、ここで意を決して入社試験を受けたのである。最終面接には彼のほかにもう一人…実は藤村徹アナなんだが…が残っていた。お互いにその試験会場で顔見知りになり、どっちがアナとして採用されても恨むなよと言ってたんだが…、結果は二人を正式に、アナとして採用したのである。
ただこの時はあくまで“報道”部門のアナとしての採用であり、彼が願ってたスポーツ実況は、すべて外部からの“契約アナ”だけでローテーションが組まれていた。(この当時に奥田アナが“契約アナ”として、実況席にいた訳で…)今から21年前の阪神優勝(日本シリーズ制覇)の時も、報道の現場でモニター越しに見てるだけだった。
元々スポーツマンで、今でも休みの日には自宅近所のスポーツジムで汗を流す程、身体を動かす事が好きな“爽やか青年”は、ホントに爽やかな笑顔が印象的なアナでして、時より見せるその笑顔は、とてもスポーツアナにはふさわしくない(と言っては失礼だが…)風貌だった。が、彼自身はどうしても、プロ野球実況…ことに阪神戦の実況がやりたくて仕方がなかった。そんなある時、人事異動で報道部からスポーツ部に籍が移る事になった。こうして、SUN-TV初の“生え抜き実況アナ”は誕生したのである。しかし、この時期からダメ猫阪神は、文字通り“ダメ虎"に成り下がったのである。
確かに優勝シーンは実況席から見たけれど、どれも阪神ではなく、相手チームだったり、パ・リーグ戦(オリックス優勝)だったりで、“自分は『阪神優勝』とは縁が無いのでは…“とその度に嘆いてた事もあった。が、一度決めた以上は、諦めたくはなかった。
あの優勝から18年後、“星野阪神”でのリーグ優勝のとき、その実況席には後輩の湯浅明彦アナがいた。でもその時、不思議にも“悔しい”とは思わなかったそうな。それから2年後…去年の優勝決定の瞬間に、彼は甲子園球場の実況席にいた。そしてそれは彼自身にとっても、まさしく“大願成就”の瞬間でもあった。その時の笑みは、目にうっすらと涙を浮かべていた。どうしてもこの瞬間を実況したくて、そして純粋な阪神ファンとして、SUN-TVの実況アナの道を選んだだけに、思いが言葉にならないくらい溢れていたのだ。
今年ももうすぐ“球春”が訪れようとしている。新たなる決意はただひとつ、猛虎阪神の“連覇”を実況する事だ。それが彼の願いであり、この思いは後輩達に継いでもらいたい部分でもある。