迷馬の隠れ家 はてな本館

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謎学ラジ関探偵局(その2:須磨にスタジオがあった理由)

3回目の“我等ラジ関ジェネレーション”月間、第2週目でございます。今日は早めの更新なのは、会社をサボってもとい、祖母の7回忌法要で代休を取った為で、この時間しか書く間がないからです。(こんなに早くからメシも喰わすに何やってんだか…苦笑)
今回のテーマは、そもそもなんで須磨海浜公園の前(正確には国道はさんで向かい)にCRKのスタジオがあったのかの“謎”です。今でこそ神戸新聞社と同じビルの中にスタジオがありますが、コレは11年前の阪神・淡路大震災によって、かつての須磨本社スタジオが“全壊”した為であるのは、ファンでなくても兵庫県人(神戸在住)なら誰もが知ってることである。しかし、なんで“須磨海岸の近く”にスタジオがあったのか?歴史を遡ると、以前(姫路市営ラジオの話)に触れた様に、兵庫県内でのちょっとしたモメ事と、将来性を考えた末の結果だったのはいうまでもありません。でも、なんで三宮や元町にスタジオを作らなかったのでしょう?

実は、計画上では開局時に三宮にスタジオを作る予定にはしてたらしいのですが、あの周辺にスタジオ兼送信所を作ることができなかったからです。てのも、ご存知の方も多いでしょうが、三宮周辺は大変土地が狭く、しかも歴史的建造物(旧外国人居留地や外国人住宅地等)が多く点在し、送信所も付いたスタジオを作るのは、当時の建築技術やアンテナの構造上、“不可能”だったことが挙げられます。また、現在のラジオ送信所でも殆どが、ワイヤーで支えて立てている方式(支柱式だったっけ?)である為、そのワイヤーのアンカーを打ち込む為には、必然的に土地は広めで平坦な場所でないと無理だったのです。
また、当時は今後TV放送免許取得後の社屋(スタジオ)拡張もにらんでいた為、できるだけ広い土地が必要だったのはいうまでもなく、むしろ“ラジオ単営局”に止まったからこそ、公団住宅の一部に本社スタジオを作った(まとめサイト参照)と考えられるでしょう。
もうひとつの理由は、電波の関係もありました。てのも、三宮周辺だと土地柄、山(電波にとっての障害物)が迫ってる関係で、広範囲に電波が届かず、兵庫県南部のリスナーすら取り囲めない可能性があったからです。事実、開局時の周波数は1490kcで出力が1kWでしたから、受信するには三宮付近でも感度の良い受信アンテナとチューニング技術が必要でした。(これもまとめサイト参照)
ただ、考えようによっては、おそらく、姫路市兵庫県に対する“反抗”をかわす狙いもあったのではないかと思われます。てのは、須磨区は神戸市の中でも(住民には失礼だが…)かなり辺鄙な場所で、播州エリアの入り口みたいな部分があります。長田区より西側は、いわゆる“神戸”という雰囲気からかけ離れた、どちらかといえば古き良き時代の“漁港がある街の風景”そのものです。(海側の話。山側はむしろ、最近になって開発が進んだ住宅地ですから…)つまり、神戸の中心街から離れたこの付近にスタジオや送信所があれば、姫路市単独のラジオ局を開局させなくても、すべてをカバーできることを実証したかったからではないかと考えられるのです。
いずれにしても、現在は(震災の影響とはいえ)須磨の地を離れ、ハーバーランドのビルの一角にスタジオが移動した為、あの周辺が寂れたのは確かです。ただ、あそこのスタジオにはレコード室が狭い(過去に集めた音源が、あまりにも膨大な為)んで、今でも須磨のレコード“倉庫”は現役なんだそうです。
次回はそのレコード倉庫の“謎”についてです。