迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.15

本来なら、“我等ラジ関ジェネレーション”月間にちなんで、CRKのOBorOGアナの特集をすべきなんだけど、なにぶんメジャーなアナに限ってデータが皆無に近い(ホントにない!!)んで、まとめる事ができませんでした。(申し訳ない!!)
でも、今月分のネタは、ちゃんと用意してあります。取り扱うデータはあるのに、オイラ自身(あんまし好きじゃないんで…)なかなか取り上げないABC朝日放送から、“朝の定番”ともいえる方を紹介しましょう。ダメ猫阪神タイガース“総監督”ともいわれ、ファンから最も愛される虎親父、道上洋三アナです。熱烈なABCファンならご存知かと思われるエピソードが殆どでしょうが、今回は特に、道上アナのレギュラー番組である、“おはようパーソナリティー道上洋三です”にまつわる部分を中心に、ちょっと解説しておきます。

故郷・山口ではその昔、短距離ハードル走の選手として名を馳せ、将来を有望された程の実力者だった。しかし大学時代、高校時代に受けた訓練の無理がたたって椎間板ヘルニアになり、陸上選手としての道が閉ざされた。しかも、陸上競技での戦績(国体の山口県代表になった)で推薦入学した事もあって、相当居づらい大学生活だったらしい。しかし、そんな塞ぎ込んだ思いを解放に導いたのは、同郷の阪神の選手の活躍だった。この辺りから甲子園球場に近いところでの就職が彼の“目標”となった。そして、ABCに入社する訳である。(実は、努兄や時さんと同じ大学に通ってたんだが、コレがのちに、特に努兄との関係に大いなる影響が出るとは…。)
そして入社3年目で待望の番組担当が巡ってきた。これが伝説の若者向け深夜番組“ABCヤングリクエスト”である。この番組の初代パーソナリティーとして、メインを取る事になる。しかし、この半年後に努兄との“対決”が始まったのである。そう、“MBSヤングタウン”(当時は“歌え!MBSヤングタウン”)が放送開始されたのである。のちに努兄は桂三枝とともに人気をはくし、TV進出後全国区へのし上がった訳だが、先を越された道上アナは早々に後輩達に番組を譲り、TBSで放送されていた“おはよう720”へシフトした。
話がややこしくなる前に、ちょっと説明。“まとめサイト”の第4章を参考にされると理解しやすいが、“呉越同舟”でABCとMBSが作った放送局、OTV大阪テレビ放送は後に、MBSサイドが自主的にTV放送免許を取得した事を受け、MBSの社員が全員撤退したため、ABCがOTVを吸収し、コレをABCのTV制作部門にした。で、このOTVとネットを持ってたのがTBSで、MBSは放送免許の都合で、NET日本教育テレビ(後のテレビ朝日)とネットを組まざる得なかった。これが俗にいう“腸捻転ネット時代”というヤツである。この時代に道上アナは、TBSの番組上に登場していたのである。
しかし、この“腸捻転ネット”を解消させるため、当時の郵政省(正確には、当時の田中角栄首相が郵政時代の悲願を達成せんが為に動かした)が関係者に働きかけ、1980年(昭和55年)に現在のネット枠になったのを受け降板。(この後に努兄が担当した)この様子を見ていた先輩、中村鋭一アナが“国会に殴り込んでくる!!”と言って参議院選に出馬を決意し、自分が持ってた番組…そう、このラジオ番組こそ後の“おはパソ道上”の源流である“おはようパーソナリティー中村鋭一です”を道上アナに譲ったのである。この当時、本人はもう一度、深夜番組を担当したいと思ってた矢先だったんで、相当なショックを受けた。しかし、“元祖・虎親父”中村アナが、自分の後継者として推奨したのである。“おはパソ”ファンからは当時、山口出身の道上アナが、まさか中村アナ以上の“トラキチ”だとは思っていなかったんで、この人選に批判が集まったんだが、放送日数が経つに連れ、だんだんその“本性”を現したのである。しかし、この時道上アナ自身は、深夜の若者向け番組に未練があった。その未練を断ち切らす為に、中村アナは試練を与えた。それは、ホノルルマラソンへの“強制参戦”だった。もともと陸上競技の選手だったとはいえ、専門は短距離ハードル走。ある意味“畑違い”な競技に無理矢理参加させられた上に、ゴールしなかったら“後継者失格として降板させる”という厳しい条件を突きつけられたのだ。
この出来事をきっかけに、道上アナは覚悟を決めた。こうして、このラジオ番組に“正式な後継者”として今日まで放送し続けてるのである。
ある時、冗談半分で、“阪神タイガース数え歌”なる曲を作り、レコーディングしたら、冗談抜きで阪神タイガースが“日本一”になった事から、彼が歌った阪神の応援歌は、阪神ファンには縁起のいい歌として知られる様になった。(実は一時期、ちょっとした事情で甲子園球場でも道上アナバージョンの“六甲おろし”が流れてた。)また、阪神が試合に勝った翌日の放送はテンションが高く、特にジャイアンツ戦の翌日は五月蝿いです。(こういうのを聞くと、オイラのテンションが余計に下がる…orz)まして、セ・リーグの優勝争いやってるときはかなりハイテンションで、その勢いを保ったままで番組が終わる事もしばしばだったりする。(コレが聞きたくないがばっかりに、FM802CRKにダイヤルを変えるんだが、オトンのクルマはABC“限定”の為、同乗した時は強制的に聞かされる|||orz)
長年、阪神ファンに愛され続けられたが為、番組を永続的に続けられる様にABCでは異例の措置として、定年後は取締役のポストを用意した。つまり、現在の肩書きは、アナウンサー(専属パーソナリティー)でありながら“役員幹部”という状況である。コレは中村アナや乾(浩)アナに対して冷遇(特に浩明アナは半分リストラ同然)だった事に対して、ファンからの怒りを恐れたABCの“良心の呵責”がカタチになったといって良いのかもしれない。