迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

一時代を築いた名馬がこの世を去った…。

昨日の夜、突然の訃報が入った。芦毛の“名優”、メジロマックイーン心不全で亡くなった。享年19歳。今から15年前に活躍した馬で、主な勝ち鞍として、菊花賞天皇賞(春)宝塚記念が挙げられる。
名前の由来は、西部劇の名優、スティーブ・マックイーンから。同期にはメジロライアン(メジロブライトメジロドーベルの父)やハクタイセイ(別名:芦毛ハイセイコーハイセイコー産駒としては珍しい芦毛馬)、アイネスフウジンがいる。だが、主なライバルとして挙げられるのは、トウカイテイオー(最強の三冠馬シンボリルドルフの産駒。マックと同じ、バイアリーターク系血統。)やミホノブルボン(血統はマイル系なのに二冠を制した“戸山式スパルタの申し子”)といった年下の名馬ばっか。しかし3頭が揃ってG1に出走することは1回もなかった。

よく、ユタカの“お手馬”として紹介されるが、菊花賞を勝つまでは別の騎手(確か内田浩一騎手)が乗っていて、古馬になってからユタカが乗る様になった。メジロアサマからの親子3代天皇賞馬という偉業も、メジロのオーナーの執念が結実した結果である。てのも、祖父の天皇賞馬、メジロアサマは“種無しスイカ”と揶揄された様に、種牡馬としては致命的な欠点(精子ができにくい)があって、どんなに繁殖の為の“種付け”をしても、受胎する牝馬がいなかったそうで、奇跡的に誕生したのがメジロティターンで、コレが天皇賞(秋)を制したのだ。それ故に当時、“天皇賞請負人”と言われ始めてたユタカで勝負したのである。(ま、その弊害として秋天で“降着”という大失態を、ユタカがやってしまうんだが…w)
これも運命なの知れないが、結局この時点では“親子4代天皇賞制覇”という夢は潰えてしまった訳だが、記録と記憶に残る“名優”だったことには変わりない。
競馬ファンとして、また、芦毛馬のファンとして、ご冥福をお祈りします。