迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.16

今回で16回目の“My favorite announcer”です。(“NEXT”枠も含めたら、紹介するアナは今回で20人目)今月紹介するはG1皐月賞が今週末行なわれるということで、この方にしました。かつてラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)のエース級アナで、現在でも古巣にレギュラー番組を持つ、長岡一也アナです。
白川アナや守タン、ニャオキ達の先輩であり、現在でも行なわれているラジオNIKKEI恒例(?)の“関西修行”の第一号だったという長岡アナ。また、長寿番組“私の書いたポエム”のパーソナリティーをこなす器用さと、順応性。ある意味“親方”的存在感は、今でも健在。そんな彼について、オイラなりに資料片手にまとめてみようと思う。
実際、関西の競馬ファンには馴染みが薄い(古くからのファンならともかく)から、こっちで手に入るデータが少ないのはアレだが、そこはそこということで…。(苦笑)

戦争の足音が濃くなっていった満州国(現在の中国東北部からモンゴルにかけての一帯にあった、日本の傀儡国。終戦後に消滅した。)の片隅で生まれた彼は、終戦を日本へ脱出する為の船が停泊している上海(だったかな?)に向かう途中の列車の中で迎えた。いわば“一歩間違えれば残留孤児”という状況を経験した一人である。そんな彼が“放送”というメディアに関わるきっかけとなったのは、小学4年生の頃。たまたまNHKの番組で、児童合唱団の一員としておよそ3年間活動していたのである。この頃からどうやら、いつかは放送局に就職したいと考えていた様である。
大学を卒業し、ラジオたんぱに昭和36(1961)年に入社して、その時に下った辞令が競馬を含むスポーツアナになれというもの。当時のことですから、いきなり“競馬実況をやれ”と言われても、かなりの抵抗があったのは確かで、かなりショックだったとか。で、そんな思いの中で初めて見たのが日本ダービーで、競馬の“け”の字も知らないまんま買った馬券が見事に当たり、これ以降、競馬中継の仕事に就く“覚悟”を決めたらしい。(ちなみに、この時の当たり馬券は、巨人−阪神戦のチケットにバケたそうなwついでに言うと、長岡アナは大のトラキチ。)
入社して4年後、ラジオたんぱが正式にJRAの“オフィシャル放送局”として場内実況を任される様になると、関西でも“常駐”の競馬アナが必要となった。しかし当時の大阪支社には競馬の実況ができるアナがいない状態で、当時WBS和歌山放送から高木守アナに来てもらい、手伝ってもらおうという状況だった。しかも高木アナも競馬は“未経験”だったんで、競馬実況の研修も兼ねて、競馬実況の経験のある若手アナに“関西行き”を命じたのである。その“白羽の矢”を、この時に受けたのである。
当然この当時は、今みたいに明確なルール(基本的に、大阪支社に3年赴任したら、未経験アナと交代する)がないんで、“とりあえず行ってこい!!”と半ば放り出すカタチで送り出されたんで、その後人事とかけ合い、現行のルールが制定されるのである。(でも、その後がマズかったのが、白川アナの様な“既に結婚した後で”のケースだったりする。)この時代に、競馬場での取材(当時はトレセンなんてないんで、各競馬場毎に厩舍があった)なんかで、きよぽんと知り合うことになる。後に東西の競馬実況における“神様”的存在となる二人も、この当時はまだまだ…。
そういや、この大阪支社時代にとんでもない“武勇伝”がありまして、「競馬中継を聞いて、実況が聞きとれず当たり馬券を誤って捨ててしまったから弁償しろ!!」と怒鳴り込んできたヤンキー相手に、「録音テープが東京本社にあるんで、後日送りましょうか?」と切り出し、馬の話をやろうとすると、今まで凄んでたヤンキーの態度が急に怪しくなってきて、すかさず「ノミ行為を発見したら、警察に届けるよう指示されてる。」と言いきると、コソコソ逃げ出したとの事。(競馬をはじめ、公営ギャンブルの実況アナにはこういったトラブルに巻き込まれる事は、チョイチョイあるんだそうな。)
長岡アナが東京に帰ったのはそれから3年後。丁度、メキシコオリンピックの中継班になった事を理由に、“帰還せよ”と辞令が下ったらしい。そして、この時に白川アナに“競馬をやってみないか?”と勧誘したんだとか。(まさかこの後、白川アナが自分の跡を継いで、ダービー実況アナになるとは、つゆ知らず…。)
ダービーの実況を先輩(早坂昇治アナ)から引き継いだのは昭和46(1971)年…そう、入社して10年後の事。それからラジオたんぱを退社するまでの16年間、ずっとダービーの実況をやりつつけたのである。
競馬アナという立場から離れた部分で、長岡アナが語られるとすれば、やはり“ヤロウどもメロウどもOh!”(通称:ヤロメロ)での話だろう。この中での創作劇“アチャラカ王国物語”の脚本を書いた“いやだよう”とは、実は長岡アナなのである。(この物語の本は、一部の図書館で所蔵されている。)また、この時に“ナノヨ姫”なるキャラを演じたのが“チェリー”こと大橋照子アナで、この事が縁となってるのか、“私の書いたポエム”でもコンビを組む事となる。この番組自体はすでに、放送開始から30年くらいやってるんで、長岡アナはともかく(昭和14年生まれで今年67歳)、チェリーさんも相当な…うわなにするやめ(ry