迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その15(私はコレで、芸能人になりました?!)

かなり久々なこのカテゴリー、今回は単なる“一般人”が、長編ドラマのレギュラー陣のひとりとなるきっかけの話です。
昔々、競馬が大好きで、毎週京都競馬場阪神競馬場に行ってはゴール前で観戦し、レースの度に競馬実況の“真似事”をしていた青年がいました。

その青年はかつて、競馬実況アナに憧れ、競馬中継を行なう関西のあらゆる放送局のアナの真似をしていました。また、TTG(テンポイントトウショウボーイグリーングラス)の3頭をこよなく愛し、その話をファンが振ると、実に熱く語るのでした。
そんなある日、MBSの競馬中継スタッフがその様子を見て、薫兄に話をしてみました。そこで薫兄は、この青年に“あどラン”の特集コーナーに出演してもらおうと声をかけました。青年は、まさか自分が本物の競馬実況アナに声をかけられるとは思ってもいなかったのか、その時はかなり慌てふためきました。そして話を聞いて、快く“あどラン”に特集コーナーの“ゲスト”として、薫兄と競演することとなりました。
この放送を見ていた、ある芸能事務所から問い合わせがあり、あっという間にその青年は、“競馬実況摸写芸人”として本格デビューすることになりました。しかし、知名度がイマイチだったので、青年のとこには地方での仕事しか回ってきませんでした。
数年後、関西ローカルの若者向けバラエティー番組のMCに抜擢され、これがきっかけて若者のハートを掴み、一気に人気芸人に登り詰めました。しかし、この時から“芸人”としてこのまま続けるのか、それとも他のことに挑戦してみようかと悩む様になりました。なにぶん、“芸”といっても持ちネタは競馬実況の模写だけであり、“お笑い”とは少し路線が違うことに、違和感を感じていたのです。そして、たまたま回ってきた仕事の中に、チョイ役ながらドラマへ出演する機会があり、それをきっかけに“俳優”という道を選んだのです。

ここまでの話を読んで、“ピンッ!”ときた方、そうです。コレは現在、東海テレビの“ドリーム競馬”でMCを務める、山田雅人にまつわる“エピソード”です。実は、彼は“あどラン”出演がきっかけで松竹芸能にスカウトされ、森脇健児とコンビを組んで“ざまぁカンカン”(@YTV)で“芸人”として人気を博したのです。その後俳優に転向後松竹から独立し、現在は“渡る世間は鬼ばかり”(@TBS)等のドラマで活躍する様になったのです。(そういや、こないだの“オールスター感謝祭”では、エラいがんばってた様で…。)