迷馬の隠れ家 はてな本館

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今日は創価学会創立記念日…

オイラが学会員だというのは再三言ってきたが、今回はその学会の“記念日”にちなんで、なんで創価学会が“カルト教団”と言われがちなのか、ちょっと歴史的観点も踏まえてオイラなりに説明しておこうと思う。ちなみに、創価学会の由来となる“創価”とは、“生きる価値観を創造する”という観点から、元は小学校の校長だった初代会長、牧口常三郎の“創価教育形態”という論説から付けられた名前である。以来三代会長で現在は“名誉会長”として活動している池田大作SGI(創価学会インターナショナル創価学会の国際組織としての名称)会長までを、学会員は真心を込めて“先生”と呼ぶのは牧口会長の職業が由来といっても良い。

もともと日蓮正宗(現在は学会員に“日顕宗”と嫌われてるが…)の在家信徒で、教育者の団体として戦前は活動していたが、ある事をきっかけに宗門と喧嘩する様になって、結果的に時の公安警察が“国家に対する逆賊”として治安維持法の名の下に逮捕され、牧口先生は獄中で亡くなった。その“ある事”とは、当時の軍部政府下において、すべての宗教団体は“国家神道”の神札なしでは活動してはならないという宗教法の“改悪”である。本来、こういった権力による“宗教統制”の行為に対して、真っ当な宗教団体なら抗議するのが普通である。が、日本人はそういった宗教感に疎い性格な上に、“長い者にはまかれろ”な部分があるせいで、殆どの寺院仏閣が戦時下において、本来なら必要ない“伊勢神宮の神札”を祀ってしまったのである。(本来ならこういった行為は、各宗派の開祖達に対する謗法…すなわち“裏切り”行為である)
当然日蓮正宗もこの“神札”を受け入れたんだが、牧口先生はこれを拒否。この事が後に、信徒である学会員と宗門の対立の“火種”になったのはいうまでもない。
戦後、牧口先生とともに投獄された戸田城聖は、出獄とともに創価学会の会長に就任、一時は投獄を恐れた信徒が多かった為に会員数を減らしていたが、“御書”(日蓮大聖人御書全集)の作製や学会の機関紙である聖教新聞の発刊、さらには政界に学会員を送り出す政党である公明党を立ち上げる等、現在の創価学会の“基盤”となる部分を整備したのである。この先陣を切ったのが現在の池田先生な訳で、この時は東京の下町にいる若干病弱な青年であった。
で、現在に至るまで様々な困難をクリアしてきたという訳である。その最たるモノとして語られるのが、公明党として初めて大阪で立候補を擁立した参院選での話。誰もがこんな“インチキ政党”が当選するとは思ってなかったが為に、大阪はもとより全国に衝撃が走った。そして誰もが“公職選挙法違反”を疑った。そしてついに重大な選挙違反(候補者が有権者にプレゼントを送る行為)を行なったとして、その責任者である当時の池田青年に逮捕状が下ったのである。しかし、コレは当然ながら落選した某政党の“陰謀”であり、警察当局に証拠をでっち上げ、創価学会の“空中分解”を図った行為である事が判明し、裁判では無罪が確定。こうして国政選挙において、大阪選挙区では“常勝”を誇る政党になったのである。(ちなみに現在の国土交通大臣は、自宅がオイラん家の近所だったりします…w)
戸田先生の死後、池田青年が弱冠32歳で会長に就任したんだが、この事に対してやっかみを言い始めたのが、宗門(日顕一派)と一部のマスコミ(特に当時顧問弁護士だったYと、その傀儡であるO)なのである。特にYは創価学会の膨大な“財源”に目が眩み、コレを自分が抱える食品会社の運用資金にし、“計画倒産”をやってまんまと騙し取ったのである。学会員でありながらこういった“裏切り”を行なった事から“除名処分”(つまり追放)を喰らい、それを逆恨みしてゴシップ誌にウソ情報を垂れ流した訳である。コレに喰い付いたのが某政党の某派閥で、選挙の度にYを“対創価学会工作員”として招聘したのである。
そして、ついに日顕が、創価学会を解体しすべての学会員を“日蓮正宗信徒”として支配しようと画策したんが“創価学会C(カット)作戦”というヤツである。理由は簡単、他宗派同様に信徒は僧侶に尽くすべきと“法主絶対主義”を言い出したのである。コレは“御書”の最後に記載されてる日興上人の“日興遺誡置文”で、“時の貫首(かんず:法主)為りといえども、仏法に相違して己儀(こぎ:自分勝手な教え)を構えば之を用う可からざる事”とある点を踏まえると、宗門といえども信徒を“裏切る行為”に対して、信徒は宗門に従う必要性は無いという訳である。こうして、名実ともに独立した“宗教団体”になってから、かれこれ10数年経った訳である。