迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

地名と人名にまつわるetc…

以前、堺市の由来が“和泉・摂津・河内”の畿内三国の国境に面した街だったという話をしたが、“地名”というのは様々ないわれが存在し、時には忌むべき言葉を隠すためにつけられた名称もある。例えば、北海道の千歳市の場合、本来ならアイヌ語で“シコッコタン”(意味は、大きな窪地の村)という名称の集落だったが、言葉の音が死体を連想させると忌み嫌われ、半ば行政が勝手に改名を命じたという歴史がある。(北海道の地名は、アイヌ語を無理矢理当て字で読ませる地名が多い。)
ここで今日の本題を。ちょっと調べると気付くんだが、出身地が違っても、同じような“地名”がついた姓字というのは、何らかの関連性がある場合がある。但しそれを知るということは、場合によってはとんでもない“誤解”を生む可能性だってあるということ。故に学問として歴史を知る際には、どっかで”民族・宗教差別”に関しては、(たとえ腹立たしい内容の史実が出てきても)中立を保たなければならない。

例えば和歌山県茨城県には、”栗栖(くるす)”姓が少数派だが存在する。実は和歌山市内に”栗栖地区”なる場所があったりする。で、姓字辞典なる書物(昭和初期ぐらいに作られた辞典で、確かアイウエオ順で3巻からなる結構分厚い本。)によると、紀州(現在の和歌山)説と常陸(現在の茨城)説があるが、どちらかの集落の者が移り住んで(てか、海難事故か何かで帰れなくなって、そこに住み着いて)そうなったらしい・・・と、記載されている。
基本的に、地名がそのまま”名字”になるのは、明治以降庶民も”名字”を付けるよう命ぜられて、その集落の世話人(地主や庄屋など)が、自分とこの住人である”証”として地名を”名字”にした可能性がある。また、古くから荘園として開拓された地域では、支配権を持っていた貴族や武将の”田畑”という意味でその名称を略して用いている場合がある。(”藤田”とか、”藤本”とが、姓字に“藤”が付いたら、大概は”藤原一族の荘園の使用人”という意味合いがあると考えると良い。)
また、地名姓ってのは、ルーツがよく分かるモンで、?(さんずい)が付く名称は、河川付近や海辺にあった集落を示し、土偏(つちへん)や山偏(やまへん)だと山の麓の集落を意味し、“野”が付く場合は盆地や平野部の広い部分・・・といった具合になる。ただ、注意したいのは姓字によっては本来の意味とは違う漢字を使ってる姓もあるって事。つまり”亜種”も存在する。それらは世代が下るにつれ、漢字を省略したり、読み音を勘違いして違う字を当てた場合がある。よって、そのルーツを辿ると、とんでもない”誤解”をされる人達もいる。また、アイヌや在日外国人等は、政府が勝手に付けた姓を使わざる得ない人もいることも忘れてはいけない。
それぞれの姓には、いろんな意味合いが込められているが、それを基に差別をしていい訳ではない。むしろそれを理解した上で、いろいろと調べていくと、自分達のルーツも見えてくる。そうなると、日本国内に住む者を簡単に侮蔑することは、自分達の”恥”であると悟れるであろう。